パートナーとは

「近代社会においては、生活の安定と親密性に関して、家族に代わり得るものはない」。そう話すのは、家族社会学者である山田昌弘氏だ。近代的結婚は、親密性と経済生活という二つの要素が一致していることを前提に組み立てられている。しかし、経済が不安定になり、個人化が進むなど、さまざまな理由でその近代的結婚は崩壊しつつある。結婚の必要性が薄まるなかで、日本は欧米と異なる「結婚不要社会」が形成されているという。山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。

欧米とは異なる結婚不要社会

ヨーロッパやアメリカは、事実婚や同棲のカップルが増える――経済はお互いに自立していて、パートナーに求めるのは親密性のみ――というかたちで、近代的結婚の困難を克服しました。これが欧米に生まれた結婚不要社会です。

私の見立てである日本の結婚困難社会に対しても、じつは欧米とは異なるかたちでそれに対処しようとする動きがあります。いわば、日本は欧米とは別のかたちでの結婚不要化が進んでいる、というのが私の最終的な考えなのです。

どういうことか。なぜ結婚不要社会になるのか、結論として述べていきましょう。

欧米は、幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会です。結婚は不要だけれども、です。それに対して日本は、配偶者や恋人のような決まったパートナーがいなくても、なんとか幸せに生きられる社会になったのです。これが私の結論です。

日本では、「パートナーなし」でそれなりに楽しく生活する仕組み――産業や習慣――が、逆に生まれてしまいました。つまり、欧米の結婚不要社会はパートナー必要社会であるのに対して、日本は結婚が困難になり始めているのに、パートナー不要社会になっているというわけです。

日本では、結婚は必要だと思われているけれども結婚するのは困難であって、それゆえにパートナー不要社会になっているという言い方もできます。

たとえば、経済的にやっていく仕組みの一つが「パラサイト・シングル」です。ただこれは経済問題の先送りに過ぎないので、20~30年後には破たんが見込まれますが、いまのところは、収入が低くても結婚しなくても、親と同居していれば経済的になんとかやっていけるという社会になっています。もちろん、それでも貧困に陥り、親子共倒れ寸前という人はいるわけですが(NHK「クローズアップ現代+」取材班『アラフォー・クライシス』)。

そして、パートナーなしで親密性を満足させる仕組みもいろいろなところで整っています。たとえば母親や同性の友だち、ペットといったパートナー以外の「存在」とのコミュニケーションで、特に女性は親密性が満たされています。男性ならキャバクラやメイドカフェといった「場」で、いろいろ話したり体験をシェアしたりするという親密性を市場から買うこともできるわけです。

恋愛関係=ロマンティック関係はバーチャル化していて、マンガなどの二次元、アニメのキャラやスターといった人たちなどで満足させています。性的な満足についても風俗店やポルノなどがあります。最近では女性向けポルノが流行っているという話も聞きますし、そういうところで男性も女性も欲求を満たすことができるわけです。

このように、決まったパートナーがいなくても、親密性を満足させるような装置がたくさん生まれてきています(この点は、別の本で扱う予定です)。

パートナー圧力のない日本

日本はパートナー圧力――パートナーがいないとみっともないという意識――がないし、親密性を買うことに抵抗がないということも、こうした仕組みが整う理由と言えるでしょう。

海外に日本人向けのキャバクラなどがありますが、欧米の人は不思議に思うわけです。「なんでカネ払ってまで話を聞いてもらわなきゃいけないんだ。異性の友だちとバーに行けばいいじゃないか」と。日本人やアジア人はそうした行為に抵抗がありません。たとえば日本では、江戸の吉原のような遊郭に未婚者も既婚者も昔から通っていたわけです。

欧米社会にはパートナー形成圧力があるわけですが、それは端的に言えば、「パートナーが存在しないとみっともない」という意識です。けれども日本では、「ちゃんとしたパートナーでないとみっともない」となるわけです。その違いが大きな社会の違いなのです。

たとえば日本では、若い女性と母親が楽しそうに二人で旅行したりコンサートに行ったりするのが当たり前のようになっていますが、「母と二人きりで遊びに行っても恥ずかしくない」というのは、日本人ならではの意識とも言えます。欧米のバレエやクラシック音楽のコンサート会場に行くとわかりますが、核家族(夫婦+子)もしくはカップルという客層が主流です。日本では、母娘もしくは同性の友だちとという女性二人組が、年齢層にかかわらず圧倒的です。それに対し、欧米は「パートナーで楽しむ場」であることが多い。

こうしたパートナー圧力が日本には存在しないことで、その結果として、欧米では恥ずかしいとされる「婚活」や「おひとりさま」が産業化したり習慣化したりするわけです。

念のため断っておきますが、離婚はこうしたパートナー圧力とはほとんど関係がありません。

日本では3組に1組、アメリカでは2組に1組が離婚すると述べましたが、中国や韓国でも離婚が増えていて、日本と同じくらいの割合で離婚します。そして、どこも増加傾向にあって、結婚して3年以内に離婚するケースが多いのです。

相手への満足度が低下すれば離婚するので、一緒に暮らして3年も経てば、「こんな人だとは思わなかった」といったことが見定められるということでしょう。

ただ、日本では経済的な満足度を重視して、それが低下すると離婚し、欧米では親密性の満足度を重視して、それが低下すると離婚するという傾向の違いがあります。

その結果として、欧米の人は離婚するとすぐ次の相手、親密性を満足させるパートナーを見つけようとするわけですが、日本人は次の相手、経済生活を満足させるパートナーというのはなかなか見つからないし、親密性の満足だけでは再婚しないわけです。

その意味では、パートナー圧力は離婚とは関係ないけれども、再婚には関係していると言うこともできるでしょう。

いずれにしても、相手を嫌いになるか、相手以上に素敵な人が現れるかで離婚するという場合が欧米社会にはあるのです。パートナーを嫌いになっても、子どもがある程度大きくなるまでは離婚を我慢するという選択もありますが、こうした意識は日本に比べて欧米ではそれほど多くありません。

ただ今日の日本は、多少なりとも欧米型の離婚に近づいているというのが私の見立てですが、その変化が遅いのはなぜでしょうか。

経済的に自立できたらすぐに離婚したいと思っている女性はたくさんいます。逆に言えば、経済生活が破たんすれば、離婚しない理由はなくなるわけです。実際、私の調査では、離婚理由で多いのは、日本では「夫がリストラされた」とか「夫の事業が失敗した」といった経済的理由なのです。

一方で、経済状況が厳しくなると結婚にしがみつく人が増えるわけです。ただ繰り返し述べているように、もともと日本の夫婦は仲が良くなくてもかまわない――親密性を軽視している――のであって、ここ十数年でセックスレスも増えています。

つまり、まずは経済的な理由のおかげで離婚が3組に1組にとどまっているというのが日本の現状なのでしょう。それに加えて、先に述べたような「世間体」も離婚を押しとどめています。

そして結婚も、日本では経済的理由と世間体でするものになってしまったのです。

<AERAdot>
パートナーがいなくてもいい 日本で進む「結婚の不要化」 結婚の理由は収入と世間体

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