2022年から保険適用範囲が拡大した「不妊治療」は、私たちにとってより身近な医療になっています。2024年に本格実施予定の東京都の「卵子凍結助成金」も大きな注目を集め、卵子凍結に関する情報を目にする機会も増えてきました。
しかしながら、卵子凍結も含め「誰にでも良い魔法の治療はない」——そう伝えるのが、『不妊治療を考えたら読む本〈最新版〉 科学でわかる「妊娠への近道」』です。著者は、不妊治療の専門家である浅田義正医師と、妊娠・出産を専門とするジャーナリストの河合蘭さん。今回は、ミドル世代には少しだけ遠い存在であり、若い世代にはより近い存在になった「卵子凍結」、その実情を伝えるパートを一部抜粋してご紹介します。世代を超えて一緒に考えたい、その内容とは……?
卵子凍結は「子作りは先送りしてもいい」への懸念も
ガラス化法(超急速ガラス化保存法)という優れた凍結技術が開発されて大きく変わったことは、今まで非常に生存率の悪かった未受精卵の凍結も実用になったということです。
卵子は、本当に成熟を終えるのは受精のあとで、未受精卵の状態では受精卵より弱いのです。ですから、従来の方法では安全な凍結が難しかったのですが、ガラス化法の登場で生存率がかなり改善されました。これが、メディアで盛んに報道され、結婚が遅くなりそうな女性たちの大きな関心を集めている未受精卵凍結(卵子凍結)です(ノンメディカルな卵子凍結)。
この技術は「子作りは先送りしてもいい」という風潮を助長するという懸念もあります。それでも社会の関心は高く、女性向けのメディアでは繰り返し取り上げられています。
卵子の老化が気になっている人の中で目立つのは、結婚して不妊治療クリニックに来ている人たちですが、じつはそれは氷山の一角に過ぎず、卵子について不安に思っている人のほとんどは、独身なのだと思います。
保険適用はありませんが、2023年、東京都が卵子凍結を希望する健康な女性への助成金制度を開始して全国から注目されています。自治体の助成制度は、2015年に千葉県浦安市が実施した前例もあります。
「パートナー不在」のハードルは残ったまま
ただ、採卵という処置を必要とし、毎年、高額な保管料を支払い続けるにもかかわらず、実際に、凍結しておいた卵子を使って出産に至った人はきわめて少ないという現実もあります。
なかなか凍結卵子で出産できないおもな理由は、技術的に無理だからではありません。パートナーを見つけるのが難しいのです。
浦安市は、卵子凍結の費用の助成を少子化対策だとして行いましたが、少子化対策としては、長時間労働の改善や若いカップルへの経済的支援など結婚の促進につながる対策のほうが圧倒的に重要でしょう。
考えてみると、パートナーが見つかった場合も、すぐに凍結卵子を使うかといえばそうでもないと思います。すぐに自然妊娠する可能性もあり、その場合は凍結した卵子は要りません。
卵子凍結は生殖医療専門医の「新しい役割」
凍結融解後の未受精卵は受精率が低いので、それを使って妊娠するには顕微授精が必要です。それを考えると、自然妊娠のほうがはるかに楽です。妊娠しにくければ凍結卵子を使うかもしれませんが、凍結したものの中によい卵子があるかどうかは、やってみなければわかりません。卵子凍結をした時点ですでに年齢が高かった人たちは、出産を期待できるだけの数の卵子が採れていないことが多いようです。
このように、あまり有効性が高くないこともあって、女性たちも、実施する場合は不安を和らげるための「おまもり」と思っているようです。しかし、今は若い女性の関心度も上がっていて、この目的の卵子凍結を行っている施設は、近年、急激に増えてきています。
これから放射線治療や化学療法に入るがん患者さんが妊孕性(妊娠できる力)を温存するための卵子凍結も、実施施設が増えています。乳がんの発症年齢が下がって未婚の患者さんが増えていることもあいまって、これは生殖医療専門医の新しい役割となってきました。
未受精卵子を子宮に戻す「年齢限界」を知っておく
日本産婦人科学会によると、2020年の1年間に全国では凍結融解後の未受精卵を使ったART(生殖補助医療)が295件実施され、これによって40人の子どもが生まれています。
未受精卵子の扱いについて、日本産婦人科学会は前述したように、保存期間を「女性の生殖年齢を超えないものとする」と定めていますので、実施施設はその意を汲んで具体的な年齢限界を設けているはずです。たとえば前述の浦安市の事業では、子宮に戻すのは45歳までとしていました。
学会がこうして高齢妊娠の増加を防ごうとするのは、その産科的リスクを考えてのことです。妊娠・出産は、医療のない時代には主に女性の主要な死亡原因でした。
若い人の卵子をもらう「卵子提供」とそのリスク
妊娠することだけを考えれば、たしかに卵子が若ければ妊娠率は高くなるという事実はあります。
たとえば自分の卵子ではなく、海外のエージェンシーを介して若い人の卵子をもらう卵子提供も存在しています。今、不妊治療についてインターネットで調べ物をすれば、ウェブサイトでもツイッター(現:X)などのSNSでも、日本では不可能な手段を海外で実行させてくれる生殖サービスの広告がたくさんあることに気づきます。
国内にどのような議論や規制があろうとも、お金さえ出せば、海外で自由にさまざまな生殖医療技術を使えるのが今の現実です。
卵子を提供された女性の妊娠率は、見事に、卵子を提供した女性の年齢相当となることが知られており、米国が全米のARTの実績をまとめているデータでも、加齢による出産率の低下は見られません。妊娠することだけを考えれば、閉経後の女性でも、妊娠に必要なホルモンを身体に補充し、若い人の卵子提供を受ければ可能です。
しかし、胚を受け止める女性の子宮は老化していますし、血管や心肺機能の老化も進んでいますので、出産のリスクは確実に高まります。
母体の危険に遭遇し、警鐘を鳴らす医師も
河合が以前取材をしたとき、海外で卵子提供を受けて帰国して出産した人たちのほとんどは40代で、中には50代の人もいました。
そうした人たちを多く受け入れていた都心部の病院に行くと、海外で卵子提供を受けた超高齢出産の人たちの妊娠経過は、胎盤の異常、妊娠高血圧症候群などが驚くほど多く、非常に危険性の高いものでした。母体の命が危なかったケースを経験した医師が、学会などで警鐘を鳴らす場面もありました。
こうした背景から、日本生殖医学会の倫理委員会は2013年に『未受精卵子および卵巣組織の凍結・保存に関するガイドライン』を出し、「未受精卵子等の採取時の年齢は、40歳以上は推奨できない。また凍結保存した未受精卵子等の使用時の年齢は、45歳以上は推奨できない」と具体的な年齢を示しました。
どんな方法でも、その人に合った方法がいちばん
不妊治療とはどういうものか、最新の事情はどうなっているのかを『不妊治療を考えたら読む本〈最新版〉 科学でわかる「妊娠への近道」』では具体的に紹介しています。保険適用拡大は、国民に広く治療の機会を提供した画期的なできごとでした。一方で、保険診療には限界があります。
保険診療は公的な財源をどの疾病の人にも公平に分配する必要があって、産婦人科以外の専門家が主なメンバーである複数の組織が、効果・安全性などを認めたことだけが可能になります。それは、不妊治療に専念する医師と、患者の合意だけで成立する自由診療と同じものにはなりません。
つまり、国が認めた医療とは、専門家・患者さんからみると、必ずしもいちばん効率的な医療ではありません。最も困ってしまうことは、日本の保険診療には、ほんの一部分に、ささやかな自由診療を取り入れることも許されない混合診療の禁止というルールがあるということです。本書の旧版を出版したのは2016年で、体外受精に保険が適用されるとは誰も思っていませんでした。
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