1億総孤独の真相

「ぼっち」から「ソロ活」へ。孤独を前向きに捉えようとする現代。ひとりは本当に幸せなのだろうか。一人暮らし世帯が4割に迫ろうとする今、頼れる人はいない孤立状態に誰もが陥りうる。

ハロウィーンで飾られたカボチャの絵を指さして、渡部和孝さん(49歳)はつぶやく。「あれは何ていうんでしたっけ? あの、そこにある、丸い……」。
「カボチャのことですか?」と記者が聞くと「そうでした。そんなこともわからなくなっていて」と言い、うつむいた。

言葉が出てこない。文字を正しく認識できない──。脳梗塞の後遺症による失語症だ。慶応大学商学部の教授だった渡部さんが病に倒れたのは2019年5月のこと。手術を受けたが、言語障害や注意力障害といった障害が残った。言われたことをすぐに忘れる。慣れない場所に1人で行くのも難しい。そのような状況で研究を続けるのは無理だった。
結局、休職期間を経て大学は退職。現在は同大学の障害者雇用で臨時職員として働いている。週3日、データ入力の作業だ。時給は1150円。その給与と月8万円ほどの障害年金が現在の収入だ。

悲しさよりも不安のほうが大きい

「研究職を失った悲しさはあるのですが、それ以上に、人生が変わってしまって、今後どうやって生きていったらいいのかわからない不安のほうが大きいです」
渡部さんは慶応大学経済学部を卒業後、旧郵政省に入省。アメリカのプリンストン大学への留学経験もあり、エリート街道をひた走ってきたといっていい。

これまで経済的な不安を感じたことがなかった渡部さんを今最も悩ませているのが、医療費だ。
脳の障害に加え、2009年に大腸などの臓器にポリープが多発する遺伝性の病気を発症していた。定期的な手術が必要だが、治療費を払い続けることができるのかどうかが不安だ。病院に同行してくれるヘルパーに支払う費用やリハビリ費用もかさむ。

頼れる人はいないのか。彼には都内のマンションで同居する78歳の母親がいる。これまで結婚したことはなく、母親以外には遠縁の親戚が1人いるだけだ。

母親は2年前に一時入院したことをきっかけに介護が必要な状態になった。要介護の母親と障害を抱えることになった渡部さん。2人の暮らしは、たった数年でがらりと変わった。役所に相談したくても、言語障害から、うまく説明ができない。渡部さんに寄り添い、代弁してくれる人もいな

死ぬのも生きるのも怖い

「元気にスポーツクラブに通っていたのが、今では夢のようです。いつ訪れるかわからない死への恐怖が強くありますが、長く生きてしまったら確実に金銭的に立ちゆかなくなる。生きるのも怖いんです」(同)

渡部さんのように突然病で倒れ、孤独と孤立状態に陥ることは、いつ誰の身にも起こりうる。2021年の内閣官房の調査では、相談相手がいないと答えた割合が30〜50代の現役世代に多いことが明らかになった。

背景にあるのは、未婚化や核家族化による世帯規模の縮小だ。全世帯数のうち単身世帯の割合は4割に迫っている。年齢と婚姻形態別で見ると、孤独感を覚えている人が最も多いのは、30代の未婚者だ。

内閣官房孤独・孤立対策担当室の有識者会議メンバーの石田光規氏は言う。「結婚のデータは国が結婚を推奨しているように受け取られかねないため通常は公表しない。今回公表したのは、結婚自体が格差化し若い世代を孤独に追い込んでいる傾向が見られたからだ」

将来への不安から強い孤独感を覚える単身者もいる。

「実は将来子どもをつくるために、精子凍結をやっておこうかと本気で考えているんです」
そう打ち明けるのは、都内の大学で准教授として教鞭を執る健二さん(41歳、仮名)だ。健二さんは28歳のときに大学の同級生と結婚したが、1年ほどで離婚。家の購入をめぐり、金銭感覚が合わなかったことが原因だった。

離婚後、30代に入ると将来への漠然とした不安を感じ、マッチングアプリで婚活を続けている。

独りで逝くのが怖い

「自分は結婚して家を買って、子どもを育ててというメインストリームから完全に外れてしまったという不安があるんです」(健二さん)子どもを望む理由は、「死ぬときに子どもがいないと看取ってもらえず、独りで逝くのが怖い」という恐怖もある。

「40歳になったとき自分の祭壇が見えてきた。この先独りの暮らしを10年、20年続けても、ある程度先が見えてしまう。自分の顔だけを鏡で見て暮らしている感じがしんどい」(同)。

健二さんは「メインストリームから外れた」と嘆くが、独身は今や珍しいものではまったくない。未婚率は上昇し続け、20年の50歳時未婚率は、男性28.25%、女性17.81%と過去最高に達した。

ただ、結婚して家族があっても孤立するリスクはある。2022年9月下旬のある昼下がりのことだ。東京都世田谷区の住宅街の一角で、母親と小学生2人の子どもが大きな荷物を抱え、駅に向かっていた。“昼逃げ”だ。

母親の巴山(ともやま)ひろみさん(47歳)は、外資系企業に勤めていた夫との間に2人の子をもうけ、新築一戸建ての家に家族4人で暮らしていた。平穏な暮らしが一変したのは20年、コロナ禍が始まってから。仕事で行き詰まっていた夫が在宅勤務をするようになり、家にいるひろみさんに暴言を吐き、暴力を振るい出したのだ。

家庭内の不和は限界に達し、夫は家を出ていった。だが、別居生活によってひろみさんと子どもの生活は窮地に陥る。夫が、母子が暮らす家の電気代や水道代、ガス代、子どもの小学校学費といった支払いを次々にやめたからだ。

暴力から逃げただけなのに

昨年末、裁判所は夫に生活費の支払いを命じたが、夫はしばらく裁判所の判断すら無視した。さらに住宅ローンの返済までやめてしまう。その結果、金融機関は母子が生活していた建物を競売にかけた。

家を去るしかなかったひろみさんと子どもたちは、この10月に関東圏のある集合住宅に移り住んだ。私立学校に通っていた子どもたちは地元の公立小学校に転校することになった。

新生活をスタートさせたひろみさんだが、不安は消えない。この2年、派遣会社に登録し、日銭を稼ぎながら生活費や弁護士費用を工面してきた。今後の裁判で離婚が成立したとしても、夫が養育費を払う可能性は低い。日本の司法制度には養育費不払いへの刑事罰が存在しないからだ。

ひろみさんは言う。「周囲に知り合いはおらず、助けてくれる人も、気軽に相談できる人もいない。つらいです。夫の暴力から逃げただけなのに、私も子どもたちも一気に孤立してしまった」。

孤独感の原因を示す上の表に照らし合わせると、ひろみさんは「家族間の重大なトラブル」によって孤独や孤立に陥った。今後はそこに「生活困窮」が加わる懸念もある。冒頭の渡部さんは「心身の重大なトラブル」、健二さんは「家族との離別」がきっかけだ。
主観的な感情である「孤独」と、他者とのつながりが乏しい客観的な状態を示す「孤立」は概念が異なるが、その原因は重なることも多い。それらが避けようのないリスクである限り、結婚の有無は孤独の根本的な原因ではない。

孤独の真因は、トラブルが起こったとき、家族以外に頼れる存在がいないという点にある。

家族以外に頼れない日本

60歳以上が対象のデータではあるが、国際比較で日本は家族以外に頼れる人が少ない。内閣府の調査によると、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの4カ国のうち、同居家族以外に頼れる人として友人や近所の人を挙げた割合は日本が最も低かった。

行政の福祉サービスや病院・介護施設はあるが、家族が申請の手続きや身元保証をしなければ利用が難しいのが現状だ。単身世帯が増え続ける中、家族以外の人に頼ることが難しい社会では孤独・孤立に陥る人が増える一方だ。

これまで家族に頼っていた役割を誰が担うのか。その難題が突きつけられている。

<東洋経済ONLINE>
最も孤独なのは「30代未婚者」1億総孤独の真相