熊本地震をきっかけに出会った男女3人の共同生活を描いた映画『三日月とネコ』。安達祐実さんは書店で働く40代おひとりさま女性の灯(あかり)を演じています。映画の撮影を通して安達さんは何を感じたのか、“等身大”の女性をどのように演じたのか、話を聞きました。
本当の家族だと近すぎることも
――映画『三日月とネコ』のお話を聞いたときの感想を教えてください。
安達祐実(以下、安達): 私がこれまで演じてきたのは、どちらかというと少し奇抜な役が多かったのですが、今回の灯(あかり)はとても普通な、等身大の女性です。ストーリーもほのぼのとしていて、私にオファーをいただくものとしては珍しいタイプの作品だなと感じました。だからこそ「ぜひやってみたい」と思いましたし、何より原作が素晴らしくて、心を打たれながら読んだので、この素晴らしさを映画にできたらとても素敵だなと思いました。
――灯は40代で未婚の女性です。演じる上で意識されたことは?
安達: いつもそうなのですが、ものすごく役作りするということはなくて、常にフラットに撮影に臨んでいます。灯は私の年齢より少し上で、私自身は子どもがいたり結婚経験があったりはしますが、灯が感じていることには共感できることも多かったので、すんなり役に入ることができました。
――映画の中では偶然出会った3人が少し不思議な共同生活をしています。そのような生活はどう感じましたか?
安達: この作品に描かれているような共同生活はなかなか成り立たないと思うので、まずは率直にすごいな、と思いました。ただ、出会いが地震という非常時で、ネコというつながりもあった。たまたま3人の凸凹がマッチしたんですよね。3人ともすべてが満たされているわけではなく、うまくいかないことも多い。でも、お互いの傷すら認めて、それぞれの生き方を許容しながら生活している。すごく運命的で奇跡的な3人だと思います。
本当の家族だと近すぎて、余計な甘えや反発、遠慮などが生まれてしまうこともあります。家族ではないからこその気楽さもあり、ちょうどいい距離感でいられるのかな、と思います。それに、3人とも相手を思いやる力がすごく強いので、3人の共同生活はやさしさに溢れているんですよね。だから成り立つんだろうなと思います。
実は、ちょうどこの映画を撮影しているときに、知人からネコを譲り受けることになったんです。鹿乃子を演じた倉科カナさんがネコを飼っているので、いろいろ教えてもらいながら準備をしました。今作の撮影のタイミングと、自分の生活にネコが来たタイミングがリンクして、「運命だな!」と思いました。私はわりと淡泊な性格だと思っているのですが、「うそでしょう?」というくらい、ネコが可愛いんですよ(笑)。自分がこんなにネコに心を動かされるなんて……と思いながら毎日生活しています。
欠けているのではなく、これから満ちていく
――映画の中では、自分のことを「欠けたまんま大人になりきれていない」と感じるという灯に対して鹿乃子が言う「欠けてるんじゃない。まだ満ちていく途中」など、心に響く言葉がたくさん出てきました。安達さんが印象に残っているセリフはありますか?
安達: 「欠けてるんじゃない。まだ満ちていく途中」はとても印象的な言葉ですよね。物事は捉え方や見る方向によって変わってくるとよく言いますが、欠けているのではなく、これから満ちていくんだと思うと、救われます。
あと、私がすごくいいなと思ったのは、「夫や子どもがいる友達みたいに責任を背負っていない」と話す灯に、小林聡美さんが演じた小説家の網田先生が言った「責任というものは、自分を少しでも楽しくすることだけに課すものだ」というセリフです。これを聞いて、もう少し自分に優しくしてあげてもいいのかなという気持ちになりました。
私も子どもがいるので、当然親としての責任がありますし、仕事でもたくさんの責任を負っています。でも、そこまで具体的に課されていないことも自分の責任だと思い込んで背負い込みすぎている部分もあるかもしれません。その重荷を少し降ろしてくれるセリフだと思います。
――40代で未婚、子どもがいない自分の生き方に灯が迷いを感じるようなシーンもありました。
安達: 原作の中では、もう少し辛辣なシーンもあって、子育てをしている灯の妹が「お姉ちゃん、いつまでも子どもの立場で話すね」と言ったりするんです。私自身はたまたま子どもがいて結婚経験もありますが、結婚していない人と比較して人生に優劣があるわけではありません。未婚だからと負い目を感じる必要はないですし、いろいろな生き方があっていいと思います。その人の人生はその人にしか責任を持てないですから。この映画の登場人物たちは、お互いに相手の生き方を認め合いながら生活しています。それはとても素敵な形だなと感じました。