行政のサポートはなく、遺産も宙に浮く
日本の人口減少は「多死化」で加速する
9月15日に発表された2022年の人口動態調査確定報によれば、出生数は77万759人で人口動態調査開始以来最少となったほか、合計特殊出生率も1.26と過去最低となりました。
しかし、注目したいのはむしろ死亡数の増加です。
死亡数は156万9050人で、これは統計の残らない太平洋戦争期間中をのぞけば、統計調査開始以来、というより日本史上初めて150万人を突破し、もっとも死亡数の多かった年となりました。ちなみに、今までの最高記録は、スペイン風邪が流行した1918年の149万3162人でした。
しかし、これは2022年だけの特異な現象ではありません。すでに2023年の速報値でも前年の死亡数を上回るペースで推移しており、今後も150万人超の死亡数が続くでしょう。
それどころか、以前、〈1人生まれても2人が死ぬ」が50年続く…ついに始まった「日本人の大量死」の行き着く先とは〉という記事でもお伝えしている通り、日本は2022年を起点とした「多死時代」へ突入します。今後50年間は年間死亡数150万人以上の時代が続きます。
いつも「少子化」の問題が取りざたされますが、日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます。人間は不老不死ではないので、人口転換メカニズム上、高齢化の先には必ずこの「多死化」が訪れるからです。
結婚できないと早死にする男性
ところで、以前、2022年2月の記事〈「一人だと短命になる男、一人だと長生きする女」年金すら受け取れない独身男性の虚しい人生)において、配偶関係別の死亡中央値を比較し、未婚男性だけが唯一60歳台と早死にする傾向がある事実をお伝えしました。
「いのち短かし 恋せよおとめ」(「ゴンドラの唄」1915年、吉井勇作詞、中山晋平作曲)とは、大正時代の有名な流行歌のフレーズですが、さしずめ現代は「いのち短かし 恋せぬおとこ」というべきでしょうか。
以前のデータは2015~2019年の累積値による計算でしたが、2022年の確定報に基づいて最新の配偶関係別死亡中央値を計算してみました。対象は50歳以上としています。
それによると、未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました。未婚男性の寿命も延びているようですが、相変わらず配偶関係別で比較するともっとも短命であることに変わりはありません。
「男は一人では生きていけない」は本当だった
誤解しないでいただきたいのは、死別男女がもっとも長生きだからといって、「配偶者と死別すれば長生きできる」ということではありません。配偶者と死別するまで有配偶状態が継続した結果です。
また、女性の場合、有配偶がもっとも短命に見えますが、これも「結婚した状態だと女性は早死にする」のではなく、そもそも有配偶のまま死亡する女性の総数が少ないためです。大抵の妻は夫より長生きです。一般的に、多くの女性は有配偶のうちには死なず、死別女性として死亡するのですが、有配偶女性だけを抽出して死亡中央値を計算するとこういう結果になるだけです。
全体的な傾向としては、男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。
こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう。
50歳以上の未婚男性は40年で23倍に
特に、男性の場合、会社や家族という所属が失われてしまうと途方に暮れてしまう人が多いものです。これは、男性がより社会の中で「どこかに所属している」という帰属意識に依存してしまう傾向があるからです。
また、男性は離婚率と自殺率が強い正の相関がある点も、家族という所属を失った喪失感と関係がないとは言えないでしょう(〈「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか〉参照)。
そもそも50歳以上の未婚人口は激増しています。国勢調査によれば、1980年における50歳以上の未婚男性人口はわずか17万人程度でした。それが、2020年には、約391万人へと23倍にも増大しています。女性のそれも、1980年の41万人から2020年251万人へと増えていますが、6倍増に過ぎないので、いかにこの40年間で50歳以上の未婚男性人口が急増したかがわかると思います。
この男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です。
「身寄りなき死」が続出する
同じ独身でも、婚歴有の死別や離別の場合は、子どもの家族など誰かしら身寄りのある人が多いと思われますが、生涯未婚であれば当然配偶者も子もいないし、本人が50歳を過ぎていれば親も鬼籍に入っていることも考えられ、さらに、昔ほど兄弟姉妹が多いわけではない環境の中で、まったく身寄りのない状態で死亡する可能性が高いということになります。
そもそも日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります。血縁関係があったとしても、遠方に住む親戚との接点も希薄になっていれば、たとえ死亡したとしても、その引き取りを拒否されるケースも増えています。
さらに、身寄りのない未婚者は遺産の行方すら宙に浮いてしまいます。
最高裁判所によると、相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです。
「所属」のない高齢者に社会的役割が必要
前述した通り、今現在でも50歳以上の未婚人口は642万人もいます。もちろん、この全員が身寄りがないわけではありませんが、今後未婚人口がさらに増加していく中で「身寄りのない高齢ソロ」の対応は大きな課題となるでしょう。
「どうせ一人なんだから、死んだ後のことは知ったことではない」という考えの人もいるかもしれませんが、一方で「死んだ後、よそ様に迷惑をかけたくないが、どうすればいいかわからない」と悩む人も多いでしょう。
死後の憂いをなくすことで、かえって安心して生きられるという面もあります。
長野県南箕輪村では、行政と連携し、2019年度に「身寄りのない方のエンディングに関する研究会」を発足したという動きもあります。こうした視点の取り組みを各自治体も国も目を向けるべき時にきているのではないでしょうか。
死後のことだけではなく、「所属」のない身寄りなき高齢者にとっての今の社会的役割の付与も大事です。自分の子や孫がいなくても、血がつながっていなくても、果たせる社会的役割はあります。むしろ行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です。
「つながり」は血縁や友人だけではない
奈良県橿原市にある「げんきカレー」という店では、お客が自分の会計に200円をプラスすると1枚チケットが発行されます。そのチケットを壁に貼ると、地域の子どもたちがそのチケットを利用してカレーを無料で食べることができるというシステムになっています。
血縁関係のある子や見知った誰か特定の子にカレーをごちそうするというだけではなく、自分の行動がどこかの見知らぬ子どもの笑顔を作れるかもしれないという喜びがそこにはあります。行動する良いきっかけにもなります。チケットを利用する子どもたちも、誰かの温もりを具体的に感じて感謝できるでしょう。
リアルに顔を見合わせて助け合うことだけが「人のつながり」ではありません。自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味で、私の提唱する「接続するコミュニティ」のひとつの形でもあります。こうしたささいなお膳立てひとつでも、今後増え続ける身寄りのない高齢ソロの「生きる力」となるのかもしれません。
<PRESIDENT Online>
日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題