独身中年おじさん叩き

未婚化や少子化の要因というものは決して「個人の価値観の問題」などではなく、経済環境や職場環境含めた社会構造上の環境問題であると語る独身研究家の荒川和久氏。『「居場所がない」人たち:超ソロ社会における幸福のコミュニティ論 』(小学館新書)から、独身中年男性ネタがバズる社会構造に迫った章を一部抜粋、再構成してお届けする。

幸福度が高い人と低い人の違いは何か

幸福度が高い人間と低い人間との差は、幻想にとらわれているかどうかで違ってくる。つまり欠乏の心理に支配されて「足るを知る」を忘れてしまうのだ。

「結婚したら幸せになれる」のではなく、「幸福な人が結婚している」のだ。「結婚したら幸せになれる」などという幻想にとらわれているうちは、結婚もできないし、万が一結婚できてもしあわせにはなれない。そして、自分が不幸なのは結婚できないからだ、自分を選ぶ相手がいないからだ、自分が選ばれるように差配しない仲人が悪いからだ、社会が悪い、政治が悪い……と誰かを責め続けることで欠乏の心理を埋めようとしている。

本人は「誰かのせいにする」という行動をしているつもりかもしれないが、客観的には文句をいっているだけにすぎない。そんな面倒くさい人間を誰が結婚相手に選ぶというのか。「足りない」なら「何を足せばいいのか」と行動することが大事なのである。

とはいえ、未婚者の不幸度が高い理由は決して本人たちだけの問題ではなく、環境がそういう空気を醸成している点も見逃してはいけない。

独身中年おじさん叩きはなぜバズるのか

今では随分となくなってきているとは思うが、ほんの数年前までは、いい歳をして独身のままだと「どこか人間的に欠陥があるのではないか」と冷たい視線を向けられたものである。もしかしたら、今でも地方の田舎にはまだその名残りがあるかもしれない。

さらに、未婚や独身という属性に対する攻撃は今でもネット上でよく見られる。「結婚もせず子育てもしないで自由勝手に生きている人間は社会のフリーライダー」的なものである。皮肉にも、独身人口のボリュームが多くなるにつれ、このような「家族VS対立構造」がより可視化されてきたようにも思う。その顕著な例が「独身中年おじさん叩き」である。

おじさんネタはバズる。2022年、ネット記事周りのタイトルでは「働かないおじさん」というワードが多用された。

50代を過ぎて出世の見込みもないおじさん社員が、仕事もせずにそれでいて高い給料をもらっていることを揶揄する言葉でもある。

おじさんネタ以上にバズるのが、独身中年男性ネタである。婚活ネタの記事でも「40代中年独身男性が20代の相手を条件として提示し続け、いつまでもマッチングしない」なんて記事を出せば、途端に「身の程知らずだ」「キモい」などと非難のコメントであふれかえる。

「子ども部屋おじさん」には何も問題がない

特徴的だったのが「子ども部屋おじさん」の話である。「子ども部屋おじさん」とは、40歳など中年といわれる年齢を過ぎてなお親元に住み続ける未婚男性を揶揄する言葉である。

元々ネットスラングとして2014年頃から使われていたのだが、2019年『日経ビジネス』において『90万人割れ、出生率減少を加速させる「子ども部屋おじさん」』なる記事が掲載され、バズった。というより、大いに炎上した。まるで少子化や未婚化がこの「子ども部屋おじさん」の責任であるかのような誤解を生むタイトルであり、内容だったからだ。

「かつての親に依存するパラサイトシングルやニートと呼ばれる若者が、自立できずにそのまま中高年化しているのだろう」などと思うかもしれないが、事実からすれば、親元未婚比率が増えているわけではない。親元未婚の絶対数が増えているのは単純に未婚者数が増えているからにすぎず、決して親元未婚が増えたから未婚化や少子化が進んだという因果があるわけではない。

また、そもそも論をいえば、結婚もしていない未婚の子が親元にする住み続けることは昭和の皆婚時代でも当たり前の話で、進学や就職などで家を出た子以外は結婚というイベントではじめて家を出たのである。結婚していない以上そのまま親元に住み続けることに違和感はない。

子ども部屋おじさんは生贄なのだ

さらには、親元に住む未婚者がすべて無業者であるはずもなく、パラサイトでもなければニートでもなく、ましてや引きこもりでもない。そもそも中高年で親元に住む未婚者は「おじさん」だけではなく、「おばさん」もいる。その割合が「おじさん」に比べて「おばさん」が圧倒的に低いわけではない。

親元未婚の比率は男女ともほぼすべての年代で同一である。国勢調査から20-50で比較してみても、男の親元未婚率は60%であり、女は62%だ。なんなら女の方が少し多いくらいである。また、2000年と2020年の親元未婚率を比較しても大差はない。

つまり、事実からいえば、わざわざ「子ども部屋おじさん」などという蔑称を使ってまで大手メディアが報道するようなものではないのである。むしろ事実と反する間違った記事によって、間違った印象を与えかねない点で害悪ですらあると思われる。

なぜこうした印象操作的な記事が出回ってしまうのか。記者や専門家が単に無知だったという理由なら、お粗末ではあってもまだマシだったかもしれない。そうではなく、あえて「子ども部屋おじさん」という言葉を使いたい理由があることこそが危険なのだと思う。

つまり、生贄なのだ。

未婚化や少子化の要因を人間は社会構造の問題という曖昧な理由では納得できない

私は書籍でも記事でもインタビューでも同じことをずっといい続けているが、未婚化や少子化の要因というものは決して「個人の価値観の問題」などではない。経済環境や職場環境含めた社会構造上の環境問題である。価値観が変わったのだとしたら、まずそれを変えるだけの理由となる環境があったはずで、価値観はその環境に適応したにすぎない。「若者が草食化したから未婚化になった」なんていい草は間違いであるという話は第一章でもご説明した通りである。

しかし、人間は社会構造の問題などという曖昧な理由では納得できない。というより安心できない。特定の誰かのせいにしたがる。だから、自分たちの安心のために、悪者を作り上げてしまう。

古来、コミュニティ内の仲間意識や絆を強化するのに一番効果的なのは、コミュニティの外に敵を作ることである。敵がいるのだから、みんなが一致団結して協力しないといけないという気持ちを喚起できるからである。

おじさんなら叩いていい、ろくでなしだから叩いてもいい

外に敵がいるうちはいいが、もし適当な敵が外にいなければ、仲間内からでも敵を作りはだし、これをみんなで排除することで新たな仲間意識を確認する。極左集団の内ゲバなどはその好事例だろう。

また、学校などでのいじめなどもこうした原理で発生する。「子ども部屋おじさん」の件でいえば、少子化や未婚化の原因を「子ども部屋おじさん」を悪に仕立て、みんなの敵とし、彼らにその責任を一手に負わせることで安心を得ようとする人たちがいるのだ。

これは何かに似ていると思わないだろうか。そう。中世欧州の汚点ともいうべき「魔女狩り」そのものなのである。

おじさんなら叩いていい、おじさんでも未婚で親からも独立できず、満足に金も稼げないろくでなしだから叩いてもいい、そういう奴等は自分の弱さや甘えでそうなっているんだから叩かれても自己責任なのだ。そういう心理なのである。

叩きたい人は事実であるかどうかなど気にしない

しかし、そもそもその前提となっている事実が違うということは誰も気にしない。未婚化はおじさんが扇動したわけではないし、親元にいる未婚が未婚化を促進したわけではなく、それは結果である。

また、弱さや甘えで親元にいるのではなく、そもそもずっと昔から結婚するまで親元に住むのが当たり前だったのに、そんな事実は無視されてしまう。叩きたい人にとって、事実であるかどうかなどどうでもよくて(本当の魔女かどうかなんてどうでもいいと一緒)、みんなの安心のための生贄を屁理屈でも用意しないといけないという考え方なのである。

まさに、古代ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサル(シーザー)の言葉とされる「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」そのものである。人間は自分が見たいものしか見ないし、たとえ目に入っていても記憶のフォルダーに残らない。信じたくない事実は無視し、信じたいと思う事実だけを脳内に取り入れようとする。心理学において、確証バイアスと呼ばれるものである。

勿論、人間である以上、メディアにいようが、知識人であろうが、何かしらのバイアスを持っているものであり、考え方に偏りがないわけではない。それは仕方のないことであるが、少なくとも事実を隠ぺいしたり、捻じ曲げてまで自分の主張を押し通すために大噓を発信するのは控えるべきだろう。社会問題の責任を特定の誰かの属性の責任に押し付ける行為は、差別行為につながる危険性も秘めているからである。

<集英社オンライン>
ネット記事での「働かないおじさん」「子ども部屋おじさん」ワードの多用…おじさん叩きが死ぬほどバズり、読み手もファクトを気にしない理由

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