「未婚子なし女性」の末路

「一度も恋愛したことのない未婚子なし女性の末路」 と題する女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。今まで一度も恋愛経験がなく、世の中の人々がどのようにして恋愛関係になっているのか想像すらつかない、というトピ主さん。「このような境遇の人間が、自分を少しでも保ちながら、残りの人生をどういう心持ちで過ごしていけばよいか」について、参考や指標となるアドバイスが欲しいとつづっています。

一度も恋愛したことのない未婚子なし女性の末路
投稿者 :❤ みかん
投稿日:2023年5月15日 14:55 恋愛

アラフォー(39歳)未婚女性です。
今まで一度も恋愛経験がなく、世の中の人々がどのようにして恋愛関係になっているのか想像すらつきません。
もともと世間が設定した人生レールから外れることに対する恐怖は人一倍あったので、20代半ばくらいから未婚でいることへの羞恥心が日に日に強くなり、30歳を超える頃には生涯孤独の不安が本格的なものとなり、今も毎晩不安と恐怖のあまり涙し、震えています。
年越しのたびに、今年も結婚はおろか異性とデートする機会すらなかったと嘆き、愕然としています。婚活は35歳になった途端に厳しくなるという現実があるので、手遅れです。今すでに取り返しのつかない年齢になって、決して戻らない年月に絶望しています。

まとめると

1.世間の人々が家庭という盤石な基盤をしっかりと築いていく中、同じ段階に到達することのできない苦しみ、惨めさ どこにも居場所はなく疎外感 取り返しのつかない年月への後悔 

2.現実的に女性が1人で生きていくことができない。生きても相当な苦しみ
(経済的に、精神的に、肉体的に、社会的に、防犯面でも)
入院や手術の際の保証人問題や住居問題

3.精神的に一人前になれないことの惨めさ 
中年になっても、内面は子どものまま。年相応の立ち居振る舞いができず、まるで幼い少女のようです。

4.この世に独り。身内のいない孤独に耐えられるのか?(天涯孤独)
無限にこれらの思いに苛まれて、10年以上も、1日たりとも気が休まらずに苦しいです。生まれた以上は寿命をまっとうするのが宿命ですが、生きる苦しみは自分へ課せられた罰のような気もします。

一寸先はもっと酷い地獄か。
甘えているのかもしれません。
このような境遇の人間が、自分を少しでも保ちながら、残りの人生をどういう心持ちで過ごしていけばよいか。参考や指標とさせていただくために、みなさまのご意見伺いたいです。

こう生きるのが正しい」という規範を疑ってみよう

トピ主さんは、必死でキャリアを積み上げてきた結果、現在は800万円近い年収を得られているものの、「果たしてこれが本当にやりたかったことなのだろうか?」と疑問に思うようになったとのこと。取り返しのつかない年月への後悔があり、世間の人々が家庭という盤石な基盤を築いていく中で、同じ段階に到達できない苦しみや惨めさがある、といった記述も見られます。

今回のお悩みは、「こう生きるのが正しい」という特定の規範に自分を重ねてみたときに、両者に大きなズレがあることがつらい、という内容だと理解しました。

「お天道様に顔向けできない」「世間様に恥ずかしい」といった言葉があるように、昔から日本社会では「自然(に宿る神様)」や「世間」が規範意識の基準になっていたと考えられます。そして、個人がクローズアップされる今の時代においては、「自分らしさを発揮して生きること」や「多くの人が望むものを手に入れること(勝ち組になること)」が目指すべき生き方だ、といった規範や風潮が生まれてきている気がします。

世間に合わせた生き方や勝ち組の生き方、あるいは自分らしさにあふれた生き方をするためには、確かにやりたいことや「家庭を築いている」という事実が必要になるのかもしれません。しかし、そうした規範も他の規範と同様、国や時代を超えて普遍的なものではなく、あくまで今いる国や時代特有のものであるという前提に立ってみると、ネガティブな感情から少し距離を置けると思います。

以前、海外の観光地で現地の人と話をしたことがあります。その人は毎日礼拝に通っており、「神様が示してくれた“正しい生き方”ができていることが、自分の誇りなのだ」と笑顔で話していました。世の中には、何千年も続いてきた宗教の教えを規範にし、日常のなかでそれを体現することで「良い生き方ができている」という満足感を得ながら暮らしている人もいる。あくまで一例ですが、トピ主さんとは違う規範のもとで生きている人も、世界を見渡せばたくさんいるということです。

一度、トピ主さんが縛られている規範を疑ってみましょう。勝ち組にならなくても、世間に合わせなくても、別に構わない。やりたいことなど、特段見つからなくてもいい。そんな視点から自分の人生を見てみると、今までとは少し違った境地が見えてくるかもしれません。

自分が基準にしたい規範を探してみよう

「世間が設定した人生レールから外れることに対する恐怖は人一倍あった」というトピ主さん。今後も世間に恥ずかしくない生き方を規範にしたいと思うならば、難しい道のりだとしても、少しでもその規範に近づいてみることが心穏やかに生きていく術になるでしょう。

のちの投稿には、国の制度を調べるほど「結婚して子を設け、血のつながった多世代で助け合う」ことに勝る老後の備えはないという現実を突きつけられた……といった記述も見られます。本当にそう思っているならば、今からでも結婚を目指してみてはいかがでしょうか。恋愛が不得手ならば、必ずしも恋愛相手を探す必要はありません。「自分が求めているのは、世間の規範に基づいた生き方なのだ」と自覚し、「絶対に結婚をする」と決めてお見合いに近いサービスを利用すれば、39歳からでも結婚に至ることは不可能ではないと思います。

一方、「世間を規範として生きても、安心感を得られそうにない」と思うならば、新たな規範を探してみるのも一案です。文化や価値観の異なる海外に出かけてみたり、書籍などでいろいろな教えや知恵を広く学んだりしながら、自分が一番共感できる、心のよりどころになりそうな規範を見つけてみてはいかがでしょうか。いろいろな方面から気に入った教えをピックアップして集めたり、自分もこうなりたいと思える人を見つけてみたりするのもよいと思います。

特定の人や規範を妄信してしまうと、また別の窮屈さや危うさが生じるので注意は必要ですが、「こういう生き方は間違っていないよね、悪くないよね」と確認できる程度のゆるやかな規範を自分のなかに持っておくことは、生きやすさにつながると思います。

「傷つくリスクを避ける生き方」を選んでいたのかも

最後に、今回の投稿で気になったのが、「いつも恐怖からの逃避が生きる原動力になっていた気がします」という一文です。幼い頃の一番古い記憶は疎外感で、楽しい瞬間でも、これからどんなにさみしくて恐ろしい未来が待っているのだろうかと思うと悲しみで胸がいっぱいになっていた……という記述も見られます。

失う瞬間を想像すると恐ろしくなる、だから最初から喜ばない、思いきり楽しまない、幸せを望まない。トピ主さんは「多少の不安や恐怖を感じているくらいのほうが実は安心できる」のかもしれず、そう考えることで、喪失感や傷つくリスクから自分を守って生きてきたのかもしれません。恋愛は傷つくリスクとセットなので、強いリスク回避の思考から、無意識に恋愛を避けていたのかもしれませんね。

自分が心穏やかでいられる新たな規範を探して、新しい生き方をしてみるのか。それとも、これまでどおりの規範のもとで、それに合う生き方ができるよう、多少リスクを取ってでも行動や努力をしてみるのか。この2択についてよく考え、「私はこういう規範を大切にして生きていこう」と、改めて決心してみてはどうでしょうか。「自分でそう決める」ということ自体も、今後の人生の助けになると思います。応援しています。(フリーライター 外山ゆひら)

<読売新聞オンライン>
「未婚子なし女性」の末路とは…残りの年月をどう生きればいい?

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