独身研究家の荒川氏はこう語る。
「いい学校に入ればしあわせになれるはず」
「いい会社に入ればしあわせになれるはず」
「結婚すればしあわせになれるはず」
というように、ある特定の状態に自分が幸福になれるかどうかの分岐点があると信じ込んでしまう人間の偏向性を指す。簡単に言えば、「思い込みから生じる幻想」ということだ。
もちろん目標を定めて努力することは大切である。しかし、進学や就職や結婚という状態になれば自動的に幸福が得られるというわけではない。
たとえば、結婚したいという女性は「相手はいないけど、とにかく結婚したい」とよく言う。これこそ結婚という状態に身を置けば、幸福が手に入るはずという間違った思い込みである。そうした思い込みのまま、万が一結婚してしまっても、「こんなはずじゃなかった」と後悔しかしないだろう。
結婚すればしあわせになれるという考え方は、裏を返せば、「結婚できなければしあわせになれない」「結婚しないと不幸だ」という決めつけの理屈にとらわれることになる。それは、結婚という特定の状態に依存してしまって、それ以外の選択肢を否定しているようなものでもある。
要するに、「現在の結婚できない自分の否定」である。むしろそうした思考こそが、婚活女性たちの不幸感を現在進行形でより増幅させているのではないかとさえ思う。
未婚男性の「幸福人口」は20代から年代を重ねるごとに順調に減少しているのに対し、「不幸人口」は20代から50代までそれほど大きな変化はない。
これが何を意味するかというと、「幸福な未婚」だけが未婚でなくなっていっているということ。つまり、結婚していく未婚男性は、元から幸福だった者が多いということだ。
未婚より既婚の方が幸福度が高いのは事実だ。しかし、それは「結婚したから幸福度があがった」のではなく「幸福度の高い未婚が結婚していく」という因果があるとみた方が、納得性は高い。
身も蓋もない言い方をすれば、「結婚したら幸せになれる」と思っている人は、結婚もできないし、しあわせにもなれないのだろう。
「欠乏の心理」に支配されて、「あれが足りない、これが足りない」という不幸思考に陥っている人は、まず、現在の自分の「足るを知り」、幸福になることが先なのだ。そして、それは、たとえ結婚しようがしまいが、自分の人生をしあわせに生きていく上で大切なことでもある。
<Yahooニュース>
結婚したらしあわせになれる?未婚の「幸福人口」と「不幸人口」を試算