日本と欧州の生きやすさ

日本とは遠く離れた欧州の男女観や結婚観に対して、「日本よりも進んでいる」という漠然としたイメージを私たちは持っている。「欧州の先進的な男女観・ジェンダー平等」というテーマはメディア等でもよく特集されるので、なんとなく「欧州では女性一人でも自立して生きやすい」といったイメージを持つのだろう。

しかしながら、社会システム上は確かに一人で自立して生きやすい欧州であっても、人々の意識や文化レベルにおいては、そうとも言い切れない場面が少なくない。それは、「誰かと一緒に何かをしてこそ一人前」という一種の同調意識であり、日本では考えられないほどに強い「パートナー文化」において如実に感じられるのだ。今回は、欧州におけるパートナー文化と「誰かと行動するべき」という同調意識の強さについて深く考えていきたい。

実家との付き合い問題

欧州のパートナー文化を強く感じるのは、友人同士のホームパーティーに限らない。相手の実家との付き合いにおいても、かなり密な関係を求められる場合が多いのだ。

もちろん、日本でも義理の実家との付き合いというのは永遠のテーマだ。「嫁姑問題」なんて話は昔も今も聞くし、義理の家族と同居するか、「味噌汁が冷めない距離」で別居しつつ付き合うか……など、悩む人も多いだろう。

欧州での実家付き合いにも、似たような煩わしさはある。日本に比べると「家族」というものの重要性が強い土地柄ということもあり、相手パートナーの両親や兄弟などと顔を合わせる機会はかなり多い。クリスマスやイースターなど「家族で過ごすべき」とみなされている日には、相手の親戚一同が集まるディナーに半強制的に参加することになるし、ここでもホームパーティー同様の居心地の悪さや孤独感を拭えないものだ。

筆者のかつてのパートナー(仮にAとする)は実家との関係がうまくいっていなかったのだが、それでも「クリスマスには家族と過ごすべき」という一種の呪いからは逃れられなかった。A自身の実家ではなく、Aと筆者の共通の友人Bの実家でのクリスマスディナーに参加し、筆者が誰一人知らない友人Bの親戚一同に囲まれ、結局その友人Bの実家に宿泊していくことになるという、今思い返しても意味が分からない流れだ。

これはかなり極端な例かもしれない。しかしそれほどに、欧州における「クリスマスは家族(もしくはそれに準ずる団体)で過ごすべき」という同調意識は強い。それが本当の家族であろうとなかろうと、だ。

パートナーそれぞれの自由がない

共通の友人に囲まれ、パートナーと常に同じ時間を過ごすことは、一見すると究極の愛の形に思えるかもしれない。確かに、欧州では「パートナーたるもの、常に一緒にいるべき」という認識がかなり強いし、誰もが疑問を持つことすらなくパートナー同士で同じ時間や空間を共有したがる。しかし、個人の時間や個人の趣味はどうなるのだろうか。

筆者のように、一人気ままに過ごす時間にかけがえのない価値を感じる人間にとっては、24時間365日パートナーと常に一緒に行動し、共通の友人の輪に属して…というのは、少し苦痛を感じてしまう。日本人においては、筆者と同様に「一人の時間も大切」と考える人の割合が比較的高いような気もする。

日本だと、相手パートナーの友人関係の輪に深く入っていくというのは珍しいことだ。もちろん共通の知り合いがいたり、家族ぐるみの付き合いをする友人ファミリーがいたり……等はあるだろう。しかし、相手パートナーの中学時代の同級生や会社の同僚たちのことを熟知しているという人は、日本ではかなり少数派ではないかと思う。

「相手の人間関係は相手のもの、自分の人間関係は自分のもの」と線引きするのが、日本では主流だ。各々が持つ人間関係を尊重し、深く踏み入りすぎないことが、相手への思いやりだと考えられている部分もある。

しかしこの日本人特有の「距離をとることが相手への思いやり」という考え方は、欧州ではなかなか理解してもらえない。「パートナー同士なのだから、時間も空間も人間関係も共有して当たり前」という同調意識にどうしても呑まれてしまうのだ。

「パートナーとの時間」に対する意識が異なるワケ

では何故、日本と欧州でこんなにも「パートナー文化」に対する意識が異なるのだろうか。

冒頭でも触れたように、欧州では「誰かと一緒に何かをして一人前」という考えが根強い。その「誰か」というのは、学生時代なら友人でも良いだろう。しかし、社会に出て学生時代の人間関係が薄まった時期に求められる「誰か」とは、パートナーに他ならない。

欧州の学生が一人旅ではなく友人同士での旅行をしたがるように、欧州では「誰かと一緒に行動しない人=変わり者」と認識される傾向がある。学生時代から少し年齢を重ねて20代や30代にもなれば、一緒にいるべき「誰か」が友人からパートナーへと移行する。パートナーと一緒に行動しない人=パートナーが居ないために一人で行動せざるを得ない人=変わり者と思われてしまうのだ。

日本でも、独身であることにネガティブな意識を持つ人はいるだろう。しかし、日本の方が欧州よりも独身の人間が生きやすいのは明らかだ。クリスマスを一緒に過ごすための「家族」を探す必要もないし、30代を超えて一人旅していたりレストランで一人で食事していたりする人に後ろ指を指す人などいないだろう。日本ではあくまでも「独身であろうが、それはその人の人生」であり、「独身やパートナーなしで一人で行動するのは恥ずかしいことだ」という意識はとうの昔に薄まったようにも思える。

日本に存在している「自由」

ひとことで言うなら、あらゆる状況において「一人ではなく誰かと行動するべき」という見えない同調圧力に縛られた欧州社会よりも、成熟したおひとり様文化が根付いている日本社会の方がよっぽど個人主義で、自由だ。

一人での外食や一人旅はもちろん、漫画やアニメなど一人で完結する娯楽の充実度も、日本の個人主義を象徴しているように思える。

こうした日本的な個人主義やおひとり様文化は、欧州では「寂しい」とか「冷たい」なんて思われることもある。その一方で、「誰かと行動するべきという同調圧力」に縛られない日本の社会や日本人のライフスタイルを心から羨ましがる欧州人も少なくない。

日本社会に堅苦しさや息苦しさを感じ、自由で暮らしやすいイメージがある欧州に憧れる日本人もいるだろう。しかし、結局はないものねだりなのだ。欧州には欧州の息苦しさや面倒事がある。

この世界に全てが完璧な国など存在しない。しかし、欧州社会を経験した上で母国を外から見てみると、「日本だって案外悪くないのではないか」と感じてやまないのだ。

<現代ビジネス>
「独身」だったらヨーロッパより日本のほうが生きやすい…そう断言できる「驚きの理由」

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