年金30万円・67歳独身男性の現実

老後の暮らしが豊かであっても、病気や介護といった転換点では、数百万〜数千万円単位の「まとまった資金」が瞬時に求められます。本記事では合同会社エミタメの代表を務めるFPの三原由紀氏が、田中誠さん(仮名)の事例から、長寿化社会における「住まいの終活」の重要性について考えます。※相談事例は本人の許諾を得てプライバシーのため一部脚色しています。

年金30万円・独身男性「老後はどうせ長くない」はずが…

「どうせすぐ死ぬからいいんです」

そう笑いながら話していたのは、首都圏で一人暮らしをする田中誠さん(仮名/67歳)です。大学卒業後、大手メーカーに入社し、営業職として約38年間勤務。60歳で定年退職しました。退職金は約1,800万円。老後資金としては決して少ない額ではありません。現在受け取っている年金も比較的多いほうです。厚生年金と基礎年金で月約22万円。さらに企業年金が月8万円あり、合計で月30万円ほどになります。

定年後すぐには完全リタイアはせず、市役所の会計年度任用職員として週3〜4日働き、64歳まで勤務しました。年収は給与と企業年金を合わせて年間276万円ほど。65歳で年金を受け取るまでの生活費としては十分でした。

「特別贅沢しているわけではないんですよ」
田中さんの趣味は車とゴルフです。仕事が休みの日には郊外のゴルフ場へ出かけ、気ままにドライブも楽しみます。昭和30年代生まれの独身男性としては、ごく一般的な生活でしょう。

車は自宅に駐車スペースがないため、近くの月極駐車場を借りています。月額1万8,000円ほど。住まいは父親から相続した戸建て住宅でした。築50年以上の古い家ですが、住宅ローンはありません。

ただし一つ特徴がありました。道路から玄関まで、急な石段を6段ほど上る必要があります。若いころは気にも留めなかった段差。——まさか、それが問題になるとは考えてもいませんでした。

「独身ですし、そんなに長生きはしないと思っていました」

父親も70代前半で亡くなっており、自身も糖尿病の持病があります。老後資金を大きく準備する必要はないと考えていました。身近な死を経験した人ほど、「自分もそうだろう」という感覚は自然と強まるものです。

しかし67歳のある日、その考えは大きく揺らぎます。ゴルフのプレイ中に気分が悪くなり途中で中断し、病院へ。軽い脳梗塞で入院することになりました。幸い大きな後遺症はありませんでしたが、以前より足元のバランスが取りにくくなりました。退院時、医師からこういわれます。

「再発の可能性もあります。できれば見守りのある住まいを検討してもいいかもしれません」

都内なのに、実家の査定額が900万円になった理由

退院後、田中さんは今後の生活を考えはじめました。特に気になったのが、自宅の石段。以前はなんとも思わなかった段差ですが、歩行が不安定になったいまでは外出のたびに慎重になります。

もし再び体調を崩したらどうなるのか——。そこで検討したのが、見守りサービスのあるサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)です。自宅近くに建築中の施設を思い出し、見学へ。充実した設備や運動プログラムに、田中さんは好印象を持ちますが、費用を聞いて驚きました。賃料前払い方式の場合、前払賃料は約1,400万円。さらに管理費やサービス費などを含めると、月額費用は15万円ほどかかるといいます。

ですが、田中さんは「家を売れば問題ない」と考えました。そこで、不動産会社へ相談してみたところ、思いのほか厳しい現実を突きつけられます。相続した自宅は、いわゆる再建築不可物件だったのです。敷地が道路に十分面していないため、現行の建築基準法上、建て替えができないと告げられました。建て替えができないため、一般的な住宅より買い手がつきにくいそうです。査定額は約900万円でした。

「都内だからもっと値段がつくと思っていました」

さらに売却には時間がかかる可能性もあるといいます。一方で、退職金は車の買い替えや旅行、生活費などで少しずつ使い、現在の貯蓄は600万円ほどになっていました。サ高住の前払賃料をすぐに用意するのは難しい状況でした。

では、前払い方式をあきらめ、月払いで入居するとどうなるのか。敷金は約72万円、月額費用は管理費・サービス費込みで40万円ほどになるようです。田中さんの年金収入は月30万円。月払い方式では、毎月10万円前後の赤字が生じる計算です。貯蓄600万円を取り崩しながら生活すれば、5年足らずで底をつきます。

「入居できない」のではなく、「入居しても長く住み続けられない」——これが田中さんが直面した本当の問題でした。

住宅ローンがなく、年金も比較的多い。それでも、住まいの条件によって老後の選択肢が狭まることがあります。

こうした問題は田中さんだけの話ではありません。都市部では、相続した実家が再建築不可の条件を抱えているケースが度々見受けられます。「持ち家があれば安心」という感覚が、老後の選択肢を逆に狭めてしまうことがあるのです。

老後資金で見落とされがちな「住まい」という問題

田中さんは現在、自宅で生活を続けながら住まいを検討しています。

サ高住のほかにも、住宅型有料老人ホームや自宅の賃貸活用など、選択肢はいくつかあります。老後資金というと、多くの人は「毎月の生活費」を思い浮かべるでしょう。確かに食費や光熱費など日々の支出は重要です。

しかし年齢を重ねると、大きく変わる可能性があるのが住まいです。体調を崩したとき、一人暮らしを続けられるのか。見守りや介護サービスが必要になったとき、どこに住むのか。その選択によって必要な資金は大きく変わります。

短命家系だと信じていた田中さんですが、67歳で脳梗塞を経験しながらもいまなお自宅で暮らしています。

「思ったより長く生きる」——それは、いまや多くの人に共通する現実です。老後の住まいにかかる費用は「発生するかどうか」ではなく「いつ、いくら必要になるか」を想定しておくことが大切です。持ち家がある場合でも、資産価値・売却のしやすさ・バリアフリー対応の可否を元気なうちに一度確認しておきましょう。

施設への住み替えには、数百万円〜数千万円の初期費用がかかることもあります。貯蓄と自宅の資産価値を合算した「手持ちの選択肢」を把握しておくだけで、いざというときの判断が大きく変わります。老後資金を考えるとき、生活費だけでなく住まいの将来まで視野に入れているでしょうか。いまの住まいは10年後、20年後も暮らし続けられる場所なのか——。一度確認してみる価値がありそうです。

三原 由紀
合同会社エミタメ
代表

<THE GOLD ONLINE>
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