50歳を迎え、「他の人とは違いすぎる」「あの頃に戻りたい」と人生を振り返るようになったのは、東京都出身・在住の富永嘉代子さん(50)。
大学卒業後、現在は派遣事務とアルバイトで年収約330万円。79歳の母と同居している。彼女はなぜ今の人生を憂うのか? そこには、残酷な「非正規女性のリアル」があった――。社会問題化しつつある「ミッドライフクライシス」(中年の危機)に直面した50代を追った、増田明利氏によるルポルタージュ『今日、50歳になった―悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)から一部を抜粋してお届け。なお、登場人物のプライバシー保護のため、氏名は仮名としている。
離婚後、34歳で始めた「転職活動」は…
東京に戻って職探しを始め、2か月足らずで外資系銀行の契約社員として採用された。簿記2級、パソコン検定1級の資格があること。ブランクはあるが経理業務の経験があることが評価されたようだ。
「仕事は面白かったし、やり甲斐もあった」
年収は480万円ぐらいまで上がっていったが正社員にはなれなかった。
「ここには丸4年勤めたのですが、日本での事業を縮小するということで退職することになりました」
当時の幹部が言っていたのは、これからは日本より韓国、中国の時代になる。日本はオフィス費用が高すぎるなど。
「前の年に東日本大震災があって、本国から来ている人は、日本は自然災害のリスクが大きいとも言っていたそうです」
日本支店は連絡事務所に格下げ。韓国のソウル、中国の上海、大連に進出する。なので日本採用のスタッフは雇止め。こういうことにされた。
「さすがは外資。ドライだしスピードが速いと感じたものです」
また就職活動をやることになったが年齢は38歳になっていたから厳しいの一言。
「なぜ離婚したのか?」と聞いてくる会社も…
「転職サイト経由でエントリーしても面接すらできずにお断りメールが来たり、何の連絡もなかったりでした。ハローワークにも通ったけど同じでした」
数社は面接できたが不採用の通知ばかり。端から採用する気はないがハローワークの紹介だから、形だけ面接をやっているという感じだったという。
他にも「貴方も変わってますな。そろそろ40歳でしょ、今さら就職でもないよね」「なぜ離婚したのか?」「この先もずっと独り身でいるつもりなのか?」など無礼な言葉を浴びせられて不愉快極まりなかった。
「両親が60代後半になっていたので介護や支援が必要になったときにどうするのか突っ込まれました。こういうことは想定していなかったので返答できなかった」
就職サービス会社はもっと露骨。「貴方に紹介できる仕事はありません」と言われて言葉を失った。
「失業手当はとっくに終わり。預貯金を取り崩すタケノコ生活だったので繋ぎのつもりで派遣労働に入ったわけです」
直接雇用だとまったく相手にされないのに派遣なら紹介がある。
「派遣の振り出しは信販会社。その後は教育産業、消費者金融、化学メーカー、食品会社など。1年から2年半の期間であちこち行かされました。配属されたのはどこも経理事務と事務機器操作でした。どの会社も派遣スタッフが主戦力という感じです。部門長と次長クラスの人、担当業務の責任者は正社員だけど、その下は契約社員が数人。あとは派遣スタッフが十数人いて現場を動かしている。こういう布陣でした」
時給はずっと1460円に固定されたまま、昇給はまったくなかった。
「月20日稼働するとして月収は23万円と少々。手取りはなんとか18万円ぐらい。一般的なアルバイトよりは良いけど、生活するので精一杯ですよ」
突如やってきた「コロナ渦」
どこも正社員登用ありとなっていたけど、声が掛かったことは一度もなし。派遣仲間も同様で契約社員にすらなれないのが現実だった。派遣先の人たちとの関係は悪くなかったが、仕事や職場の人間関係に慣れた頃に別の会社に回されることがあり、また新たに関係を構築していくのが面倒くさいと思うことがあった。
「仕事の継続性、身分の保証、収入。どれをとっても正社員の方が良いわけだけど、年齢も40代半ば近くになっていたのでもう動かない方が得策かなと思いましたね」
派遣で働きながらたまにハローワークで情報を集めたが、積極的にここで働きたい、この仕事をやってみたいというものは少なかった。
「小さな印刷会社や食品会社の作業職、地域型スーパーの店員、介護職見習い、警備員、運転手。こういう求人は多いのだけど」
賃金は派遣とほとんど同じ水準。これならオフィスワークの方が良いと思った。
新型コロナが流行し始めた2020年の年初頃は飲食店チェーン本部の庶務課で事務仕事をしていたが、営業自粛や時短営業などの影響で業績が低迷。結果、非正規の派遣はいらないと雇止めになった。
「派遣では考えられない破格の条件でしたよ」
「派遣会社から自宅待機してくださいと通知が来まして。なんとか食品ミニスーパーのアルバイトを見つけたけど、月収はかろうじて10万円ぐらいだったからピンチでした」
ワクチン接種が始まると派遣会社から集団接種会場での案内、事務処理の仕事が入ってきたし、軽度感染者のホテル療養が本格化するとお世話係の仕事が入ってきた。
「自分が感染したら困ると思ったけど条件が破格だった」
ホテルで療養している人は、PCR検査で陽性と判定されたが無症状か軽症で、入院するほどではないが家族等とは隔離しなくてはいけない人たちだけ。
「仕事はこの人たちの入退所対応、食事の提供、入所者からの問い合わせ対応、家族から連絡があった場合はメッセンジャー的なこともやりました。他にも書類作成、資料整理などの事務作業も担当しました」
勤務は9時~21時、21時~翌9時までの二部制。日当は日勤が1万7800円、夜勤だと1万9600円。派遣だと交通費は時給に含まれることがほとんどだったが実費支給。
「派遣では考えられない破格の条件でしたよ」
感染者数が高止まりすると休みは週1日の忙しさに。その代わり月収は40万円を超えることもあった。
「不謹慎ですが、わたしにはコロナバブルみたいなものでした」
新規感染者数が低下してきた2022年10月末でホテル療養の規模が縮小され、派遣は終了となった。
「2年近く働いたわけですが入所者が重症化したり亡くなったりするようなことはなかった。わたし自身も感染しないで済みましたから良かったです」
世間全体がコロナ慣れし、社会活動上の制限も緩和されたので次の派遣もブランクなしで紹介してもらえた。
「タクシー会社でして。やはり総務的な事務処理と出納業務のアシスタントを兼務しています」
人手不足のお陰なのか時給はコロナ禍前に比べ40円上がり、初めて1500円になった。かなり忙しいようで休みは4週6休、1か月の出勤日数は24日あるので月収は約29万円。実家暮らしなので生活に不自由はない。
「独り身で職は不安定、将来も見えない」
「今はタクシードライバーさんが不足しているそうです。管理職の方から、二種免許取得の支援をするからやってみる気はないかと打診されました。マニュアル車の免許は持っているけど年に3、4回レンタカーを運転するぐらいだから、怖くて無理です」
エースドライバーと言われる人は600万円ぐらいの年収だということだが、都内の地理さえよく分かっていないのだから、自分には務まりそうもない。
「離婚してからずっと実家に身を寄せているので家賃などの出費はない。これは助かるけど劣等感はありますよ。独り身で職は不安定、将来も見えないから」
最近は50歳という年齢が重たく感じる。
「テレビ番組で人気女優が、お母さんは48歳と話していたり、就職した男の子が初めての給料で両親にプレゼントしたというレポートで、父親が52歳で母親は50歳だというのを見るとショックですよ。自分にも成人した息子娘がいてもおかしくないのだから」
たまに回ってくる回覧板の訃報で、亡くなった人の年齢が40代後半から51、2歳ということもあり、自分もいつ何があるか分からないと不安になってしまう。
「50歳って精神的にガツンと来ますね。そうか、人生の後半なのよねって思います」
こんな富永さんのことを心配してお兄さんが再婚の話を持ってきた。
非正規の中年女は「透明人間」
「兄が仕事で付き合いのある会社の役員という人で、54歳。先妻さんとは死別していて、2人の息子は社会人と大学2年生だということでした。兄からは、この先ずっと独りでは将来が心配。両親だっていつかは遠くへ行ってしまう。下手したら路頭に迷うことになるぞと言われました」
いきなり後妻の口とは心穏やかではないが、自分に対する社会の評価はこんなものなのだろう。
「女性活躍の推進というけれど対象は正社員だけ。自治体の支援も既婚者で学齢期の子どもがいる世帯しか念頭にない。独身、子なし、非正規の中年女なんていないものとして扱われる。まるで透明人間みたいに」
自分は女の格付けで最下位、味噌っかすみたいなもの。こう考えるのは被害妄想か……。
「何が悪かったのか。どこが分水嶺だったのか。それが分かったらその時まで戻って人生をやり直したい」
そんなことは不可能だけど。
<文春オンライン>
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