ドイツ人は孤独死を恐れない

自分がどんな最期を迎えるのか…誰しも一度は考えたことがある課題ではないでしょうか。日本に暮らすドイツ人のサンドラ・ヘフェリンさんは、アラフィフになるまで自身の老後についてさほど気にしていなかったそう。

しかし、そうこうしている内にドイツで一人で暮らす母は70歳に、そして夫の両親の遺品整理を行う中で「今までの自分の考え方がいかに甘かったか」を痛感したといいます。著書『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』では、いろいろなドイツ人へのインタビューをもとに「ドイツ式・老い支度」が綴られています。ドイツ人は、老後の不安にどう向き合うのか?同書よりご紹介します。

※本稿は、サンドラ・ヘフェリン著『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』(講談社)より、内容を一部抜粋・編集したものです

自分が一人で死ぬとしたら?

航空機事故により父親が死亡したことで、ユリアさんは会社を辞めましたが、約10年が経った今、「自分の人生を考えたらむしろ良い決断だった」と振り返ります。

独身のユリアさんはフリーランスの翻訳家。人と会う機会も多くありません。つまり「一人の時間」が長いのです。率直に「自分が死ぬことについてどう思う? 孤独死は怖くない?」と聞いてみると、「もちろんできれば避けたい」と言いつつ冷静な答えが返ってきました。

「私はまだ40代前半だけれど、何十年かしたら高齢者向けの施設に入ると思うし、それについて戸惑いは全くないの。日本では『老後寂しくないように結婚する』みたいな考え方があるけど、違うと思うのよね。だって一緒に住んでいても、人は同じタイミングで死ぬわけではないから。みんな『孤独』は避けられないんじゃないかな。

むしろ、何十年も二人一緒にいる状態に慣れると、先立たれた時に余計孤独を感じるのではと思ってる。自分が歳を取って体力的にも精神的にも弱っている時に、『いつでも二人一緒』という状態から突然一人になるのは、相当こたえる気がするな」

ドイツにも日本にも、「自分の老後を考えて子どもを作った」という人は一定数います。そんな話をすると、ユリアさんはきっぱり答えました。

「子どもには子どもの人生があるから、親の望む形で老後に寄り添ったり、死に目に立ち会えるのかは疑問よね。航空機事故で亡くなった私の父のように、突然、人生を中断されることもあるし。

突然逝ってしまうのは、残された家族が辛すぎる。だから母親には、『万が一のことがあったらどうするの?』と聞くんだけど、ふわふわしているというか、はっきり答えないの。たぶん、そういうことを直視したくないのよね。

だけど私自身は、死ぬ前にある程度準備がしたい。考えてみれば、資産や保険のことを姉に話しているし、既に準備をしているのかも。管につながれてかろうじて生きているのは嫌だから、理想の死に方は老衰かな。普段通り寝て、朝目覚めないという、文字通り『眠るように死ぬ』のが理想。

ただ、うちの父を見ればわかる通り、死に方は思い通りにはならないから、いろいろ言っても仕方ないのかもしれないね。私は一人が好きだけれど、もし重い病気が発覚して死ぬことがわかったら、急に気が変わって、死に際には誰かに手を握っていてほしい、と思うかもしれないし」

家族を大事にしているユリアさんですが、「家族とはいつも一緒にいなければいけない」とは考えていません。自由を何よりも愛する彼女は20代で日本に一軒家を買い、一人暮らしをしてきました。

「一人で一軒家に住む」なんて、自由な発想がなければ絶対にできないこと。と言うよりも、世間や人の目を気にしていたら、なかなかできないことだと思います。誰が言うでもなく、日本では「一軒家は夫婦または家族で住むもの」という暗黙の共通認識があるようです。

でもベルリンという自由な雰囲気の街で育ち、大人になってから自分の意思で日本に来たユリアさんは、限りなく自由な発想の持ち主で、「自分の好き・嫌い」「自分の得意・不得意」をとてもよく知っているのです。

「幸せ」とは、人と時間に縛られない自由

「私にとって、大事なのは『自由』であること。会社員の仕事は楽しかったけれど、やっぱり様々なことに『縛られる』生活なのよね。時間的にも縛られるし、何よりも人間関係という問題がある。会社員だった頃『いつかフリーランスになるんだろうな……』と漠然と思っていたけど、会社員生活を続けることが難しくなった時、『もしかしたらこれは良い機会なのではないか』と思ったのも事実。だって、『これから何年間もこの上司と毎日顔を合わせるのは嫌だな』とも思っていたし。

父の死によって『死』というものをリアルに突き付けられたし、人の命は無常(vergänglich)だと悟った。だからこそ自分の人生を自分が幸せだと感じるように生きようと強く思うようになったの。

私にとって、幸せとは『自由』であること。そして私にとっての自由は『人と時間に縛られない』ということかな。自然が好きだから、緑に囲まれた自分の家に住むことで精神が安定するし、すごく自由だなって感じるの。

私はやっぱり『一人でいること』が好きなのかもしれない。座右の銘と言うほどでもないけど、私の人生で大切なのは『自分が自由に生きて、他人にも自由に生きてもらう』(”Leben und leben lassen”)ことかな。人を傷つけたくないし、自分も必要以上に人とかかわってストレスを感じたくない。

私はたぶん『放っておいてほしい』タイプの人間なのだと思う。持ち家にこだわるのも、賃貸だと何かこう、依存している(abhängig)感じがするからね」

「予定のプレッシャー」から自由になる

「もう一つ大事なのは、予定のプレッシャー(Termindruck)がないことかな。何時何分にどこそこにいなければいけない、なんていうのは私にはものすごいストレスでプレッシャー。たとえば、新幹線じゃなく車で移動するのは、予約した時間に決まった席に座るのがものすごいストレスだからなの! 仕事の納期を除いて予定のプレッシャーとはなるべく無縁でいたい」

私も自由が大好きですが、ユリアさんの話を聞いていると、「自由の定義は人によってこんなにも違うのだ」と新鮮でした。私は新幹線に乗って窓の外をボーッと見るのが好きで、極端なことを言うと「この時間がいつまでも続いたらいいのにな」と思ってしまうほどです。

新幹線の切符を買うこと、決まった時間に新幹線に乗ること、指定席を探して座ることをストレスに感じる人がいるなんて、想像したこともありませんでした。

ユリアさんの家は、東京から2時間ほどの自然が多い山の近くで、野菜を育てるスペースもあります。日本の都会で育った人の中には「家の近くにコンビニがないと不便だし不自由」「自宅の徒歩圏内に駅がないと、不自由」だと感じる人も数多くいるわけです。

でもユリアさんの考える「自由・不自由」とは、駅やコンビニまでの距離などといったものとは無縁で、「自分が自然の中に身を置き、人間関係を気にしなくてもよく、時間に縛られず自分の意思で動ける」というものでした。

「自由」という言葉に限らないことですが、同じ言葉を使っているのに指しているものや考えていることが全く違う……というのはよくあることです。

同じ文化の中で育ち、同じ言語を話す人の間でも「自分にとっての幸せは何か」という定義は人によって違います。だから、「日本人はこれを幸せだと感じる」「ドイツ人はこれを幸せだと感じる」と言い切ることは難しいかもしれません。ただ全体で見ると、やはりドイツ人には「利便性よりも自然の中にいることが大事」だと考える傾向があるようです。

自然と自由を愛するユリアさんが「孤独は避けられない」と言うのは、何か一本筋が通った話ではあります。

<PHP Online>
ドイツ人は「孤独死」を恐れない? 独身子なし女性が語った幸福観

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