誰もがいつかは迎える人生の終わり。しかし、その最期が誰にも気づかれず、空白の時間を経て初めて明らかになるケースが増えています。「孤独死」です。本稿では、実例を通し、孤独死の実情について株式会社TBH不動産代表取締役の柏原健太郎氏が解説します。
6年ぶりに開かれた玄関、その奥に眠っていたもの
「鍵が開きました」
鍵業者がそう声をかけた瞬間、私は思わず息をのんだ。都内某所、幅1mにも満たない細い路地の先に建つ再建築不可の老朽戸建——6年前、この家で身元不明の遺体が発見された。
今回の業務は、都税事務所による固定資産税の徴収がきっかけだった。長年の税金滞納、そして所有者の消息不明を受けて、不在者財産管理人の選任申し立てが家庭裁判所に出され、選ばれた弁護士が、私と遺品整理業者に現地同行を依頼してきたのだ。
玄関前には錆びた一斗缶や塗料の缶が放置され、前夜の雨で溜まった水が顔に跳ね返る。引き戸を開けた瞬間、私たちはすぐに気づいた。——これは、ただの空き家ではない。鼻腔を突く、甘く腐った鉄のような匂い。過去にも嗅いだことがある、明確な「死臭」だった。玄関から流れ出た空気は、まるで6年間封じ込められていた“何か”を目覚めさせたようだった。
冷蔵庫には「好きな女優ランキング」のメモ。自分の好きなものを目立つ場所に貼るあたり、こだわりが強く自己表現を大切にする性格だったのか。階段には丁寧に積まれたゴミ袋。一人暮らしでもゴミをきちんと整理するところからは、几帳面で周囲への配慮やルールを守る姿勢を感じる。
万年床の布団には染みがあり、その周囲には乾燥した虫の死骸が散乱していた。空き家状態の外面とのギャップから言葉を失った。恐怖とは違う、いいようのない“重さ”が心と身体にのしかかる。
身元不明、相続人不在…空白の6年間が語る現実
死亡推定日は約6年前。遺体の身元は不明で、唯一の親族はDNA鑑定への協力を拒否した。遺骨は行政により保管されている。
警察によると事件性はなく、おそらくこの家の所有者本人が亡くなったのだろう。戸籍上は「所在不明」の不在者扱いであるため、正式に死亡と認定されていない。つまり、法制度上「相続」ではなく「不在者財産管理」の枠組みでしか、資産の調査や管理を行うことができないのだ。
「不在者財産管理人制度」とは?
ここで簡単に不在者財産管理人について説明していく。身近な人が突然いなくなってしまった――そんなとき、その人が持っている財産や権利はどうなるか? 家や土地、預金などをそのままにしておくと、管理ができず困ってしまう。そんなときに活躍するのが「不在者財産管理人」という制度。不在者財産管理人とは、行方がわからない人(=不在者)に代わって、その人の財産を管理・保全する役割の人のこと。家庭裁判所が選び、たいていは弁護士などの専門家が選任される。
この制度が動き出すのは、税金の滞納や近隣からの苦情など、「外からの異変」がきっかけであることが多い。誰にも気づかれず、誰にも看取られず……。亡くなった人の「空白の時間」が過ぎたあとで、ようやく制度が機能し始めるのが実情だ。
当該事例の50代男性の遺体についても空白の6年間が経過している。近隣住民へのヒアリングでは、「自殺だったらしい」「病気だったようだ」といった憶測が飛び交っていたが、「幸せそうだった」という声は一つも聞かれなかった。
孤独死が起きた物件
あの家の空気は、明らかに異様だった。重く、暗く、そして説明のつかない“圧”があった。作業を終えた夜、私は高熱を出して寝込んだ。同行した遺品整理業者は帰り道で物損事故を起こした。霊感などない私たちも、「見えない何か」と対峙したような気がする。
聞くところによると、この男性は生涯独身。幼少期に実親とは離れ、養父と2人きりで暮らしていたらしい。唯一の親族にもその最期を拒まれ、誰にも看取られることなく、静かに命を終えた人生だった。
それでも、この家には笑い声や、ささやかな喜びも、きっとあったのだと思う。——少なくとも、彼なりに「生ききった痕跡」が確かに残っていた。
だが同時に、私は感じた。「置き去りにされた想い」がこの家には残っている、と。恨みなのか、寂しさなのか、誰かに気づいてほしいという願いなのか。声にはならなかった「声なき声」が、そこに漂っていた。私は僧侶を招き、供養を依頼した。亡くなった方のためであり、関わったすべての人の心を、少しでも軽くするためでもあった。
終活は「死の準備」ではない
不動産は、単なる「モノ」ではない。 誰かの人生が宿り、記憶や感情が積み重なった空間だ。不動産業者にできるのは、取引を超えて、物件に宿る「物語」に耳を傾け、必要な供養や想いを引き継いでいくこと——それもまた、大切な役割だと感じている。
記憶も、感情も、やがて消えていく。だからこそ、私たちは「いま」の思いを、遺言書やエンディングノート、映像などに遺すべきだ。相続人がいなくても、自分の想いや言葉を残しておけば、それは「誰か」の心を救い、未来への安心につながる。終活とは、死への準備ではない。いまをよりよく生きるための「自分との対話」なのだ。たとえ孤独な死であったとしても、そこに静かな敬意が注がれる社会であってほしいと、私は心から願っている。
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