将来に備え、自分の精子を凍結する未婚男性が増えている。背景には「少しでも若いときの精子を保存しておきたい」という考えがあるようだ。相談者の年齢は年々若くなっているという。若い男性たちに、何が起こっているの
か。
東京都在住の会社員、佐藤知之さん(仮名・32)は2023年、都内のクリニックで精子を凍結した。結婚はしていない。精子凍結に踏み切った理由は、将来、子どもを持ちたいと思ったときに備えるため。病気などは抱えておらず、いたって健康だ。
大学時代に半年間付き合った彼女がいたが、それ以降は恋愛関係に発展したパートナーはいない。20代のうちは、仕事に精いっぱいであまり余裕がなく、パートナーがいないことに特に悩むことはなかった。だが、30歳を過ぎると、周囲で同世代の結婚・出産ピークが続き、自然とこの先の自分の人生について思いを巡らせるようになった。
恋愛ってどうやってするんだっけ?
佐藤さんは、新卒から1〜3年スパンで転職を繰り返し、現在勤める会社が5社目。今の職場は、前職より残業時間が少なく、リモート勤務も積極的に取り入れているため、柔軟に働きやすい。20代のころと比べると、時間的にも気持ち的にも、そして金銭面でも多少の余裕ができた。転職のたびに年収は少しずつ上がり、今は将来の備えも兼ねて、NISAや株の投資もやっている。毎月、家計簿アプリで出費を記録し、毎月定額の貯金もしている。
相手がいれば、結婚という流れになる年頃であることは、自分の状況と照らし合わせても頷ける。だが、気づけば彼女いない歴13年目。「いいな」と感じる女性も、気になる女性も特にいない。生活は基本的に職場と家の往復で、休日にたまに会う人といえば、学生時代からの男友達2〜3人。女性に苦手意識があるわけでは全くない。職場の女性とも気軽に話すし、仕事関係や友人伝いで知り合った女性と飲みに行くこともあるが、相手に特別な興味を持つほどには至らない。
「正直、恋愛ってどうやってするんだっけ?って感じです。出会い系アプリとか合コンも苦手だから、自然な出会いがあったらいいなと思うけど、今の行動範囲内には、気になる人もいないし。出会いのために行動するのも違うよなって思うような僕みたいなタイプって、本当に出会いがないんですよ」(佐藤さん)
子どもは縁遠い存在
そんな佐藤さんにとって、子どもはずっと遠い存在だった。20代のころは漠然と「いつか結婚して、子どもを持つ人生もあるかもしれない」とぼんやりイメージがあった。だが30歳を過ぎ、パートナーができる兆しのないこと、「頑張って探そう」という強い意思もない現状を踏まえると、結婚も、その先にあるかもしれない子どもも、縁遠いもののように思えていた。
この先ずっと独身かもしれない。一人暮らしの気ままな生活は快適で気に入っているから、無理してまで婚活に励むことも考えにくい。だから、自分が精子を凍結する選択をするなんて、夢にも思わなかったのだ。仲の良い同級生の不妊治療の話を聞くまでは――。
俺が原因で子どもができないかも
その同級生は、学生時代から仲の良い男友達の一人。4年前に彼が結婚してからも2〜3カ月に1度のペースで会っている。いつものように居酒屋で飲んでいたある日、思いつめた表情で、「実は、俺が原因で子どもができないかもしれないんだ」と打ち明けられた。
いわく、妻がなかなか妊娠しないため、夫婦で不妊治療クリニックに行き検査をした。すると、夫である自分に問題があることがわかった。精子の数が極端に少なく、運動率の低い「造精機能障害」と呼ばれる状態であることが判明したという。
泌尿器科を受診し、薬剤やサプリによる治療や生活習慣の見直し、造精機能障害を引き起こす精索静脈瘤の治療などをしたものの、精液所見は改善されず、医師から体内での受精が困難だと診断された。「体外受精」であれば可能性があるが、女性側の負担も大きく、治療は保険適用になったとはいえ、1回につき20万円前後の費用が必要になる。
「自分のせいで、妻に負担をかけてしまう」「もし子どもができなかったら」と話す友人は、言いようのない苦しさを抱えているように見えた。
ちゃんとした食生活で体力もある
高校時代からサッカー部に所属し、社会人になってもランニングを続けるなど、体力には自信がある印象だっただけに、「精子に問題があり、子どもがつくれないかもしれない」という嘆きは、佐藤さんにとっても衝撃だった。
「なんとなく、不妊治療=女性のための治療という感じがしていたのですが、そうか、男性が原因の不妊というのもあるのか、と。精子の質が生活習慣にも左右されると聞いて、焦りました。というのも、僕は自炊を一切しなくて、普段の食事は外食かコンビニ飯、レトルト食品ばかり。友人は毎日奥さんの手料理を食べ、自分でも料理をするんです。明らかに僕よりちゃんとした食生活だし、体力もあるし、そんな彼でも問題があるのかと……」(同)
その後、精液検査についてネットで調べてみると、思いのほか手軽にできることがわかった。自宅か病院かで、マスターベーションで精液を採取し、病院に持って行くだけで、精液量、精子濃度、運動率、正常形態率が検査できる。金額も5千円程度と、自費診療にしては「そこまで高くない」。
さらに、調べ進めるうち、精子も老化すること、その老化が将来の妊娠・出産に影響する可能性についても知った。そして、健康な男性も将来のために「精子凍結」できることを知ったのだ。
「今の時代、こんなこともできるんだ、と思いました」(同)
佐藤さんは、まず、通勤範囲内にあるクリニックで検査を受けた。結果、精液所見に特に問題はないと知り安堵したが、「今は問題なくても、年齢を重ねたらわからない」というモヤモヤが出てきた。
家族をつくることができたなら
佐藤さんの母親はいわゆる高齢出産で佐藤さんを産み、現在は両親ともに70代と高齢だ。佐藤さん自身、周囲の同世代より年長の両親を見てきたから、「親が先にいなくなる」という不安は常にあった。一人っ子で、親戚付き合いもあまりないため、血縁が薄い感覚も持っていた。そのせいか、将来の自分について考えると、孤独なイメージを持ってしまう。もしもこの先、結婚して子どもを持ち、自分の家族をつくることができたなら、その孤独感は軽減されるだろうなという淡い期待が、自分にあることに気づいた。
だが、パートナーと出会えるか、また子どもを持つ選択に至るかは未知数だ。それでも、「今は問題なくても、この先自分が望んだときに、精子の状態によっては子どもができないかもしれない」と思うと、不安が募った。若いうちに精子を凍結しておけば、将来、助けられることがあるかもしれない。完全な解決策ではないとわかっているが、「将来がわからないからこそ、選択肢を持つための投資になる」と考えた。
3万円でできるなら全然アリ
そう考えてから行動に移すまでは早かった。精子凍結で本人が行うことは、精液検査時とほぼ変わらず、マスターベーションで採取した精液をクリニックに提出する、という流れだ。ただし、事前に精液検査と、感染症検査のための採血を行い、精子凍結できる状態か調べる必要がある。検査で問題がなければ、クリニックで精液を採取し、顕微鏡で良好運動精子の数をカウントし、遠心分離器にかけて洗浄・濃縮する。その後、専用の容器に入れ、マイナス196℃の液体窒素で凍結保存をする。
佐藤さんが精子凍結に支払った費用は、検査代とあわせ、現時点で合計3万円弱。1回の射精精子(容器1本分)につき、1年間で約1万2千円がかかり、凍結期間を延長する場合には、保管料として毎年同額がかかる。更新は、来年の3月だ。
「特に身体的な負担もなかったし、3万円でできるなら、全然アリって感じです」(同)
精子凍結したことにより、漠然と存在していた不安感やモヤモヤも軽減されたという。
「ただ考えているより、パッと行動してみてよかったと思う。凍結した精子を使うときが来るかはわからないけど、少なくとも“今できることはやっている”ということは自信になりました」(同)
未婚男性の精子凍結が広がる
精子の凍結保存が臨床応用されるようになって70年――。技術水準が向上し、現在では既婚男性の不妊治療を中心に、多くの医療施設で精子凍結が実施されるようになった。一方、抗がん剤治療により精子の形成が阻害されることなどを踏まえた、がんをはじめとした病気治療による精子形成障害に備えた凍結保存も見られる。
加えてここ最近、じわりと広がりを見せているのが、未婚男性の精子凍結。佐藤さんのように、加齢を理由に、「少しでも若い精子を保存しておきたい」と、将来への備えとして凍結する動きだ。
「精子凍結の相談に来る男性の年齢は、年々若くなっている印象です」
こう話すのは、精子凍結や卵子凍結についてのカウンセリングなどを行う生殖工学博士の香川則子さん(プリンセスバンク)。晩婚化、晩産化に伴い、不妊治療が広く浸透した現在。不妊症というと女性に原因があると考えられがちだったが、原因の半分は男性側にもあることが知られるようになってきた。「男性不妊」という言葉の広がりとともに、卵子と同様、精子の質も加齢によって低下することが明らかになっている。
香川さんはこう指摘する。
「精子凍結に関心を持ち、話を聞きたいと訪れる男性の多くが、20代後半〜30代前半の若い世代です。加齢によって精子の質が低下することを知り、“凍結保存するなら、少しでも若いときの精子でないと意味がない”と考えるようです」(香川さん)
香川さんいわく、「安く、安全に、コスパよく」と考える傾向が強い世代。確かにコスパを考えるなら、少しでも若い精子を凍結しておくに越したことはないかもしれない。
若い世代が早い段階で、凍結に踏み切ろうと考える背景には何があるのか。その背景を、次回以降、詳しく掘り下げていく。