結婚すればしあわせになれる」――。
そんな言葉が使われることがあります。確かに、恋愛至上主義時代と呼ばれた1980年代は、テレビでも映画でも小説でも恋愛物が大流行し、それらの物語のラストシーンは主人公が結婚をするという形で「めでたし、めでたし」となるパターンが王道でした。結婚のことを「ゴールイン」と表現したのもそれらの影響でしょう。
しかし、果たして「結婚すればしあわせになれるのでしょうか?」
既婚者のほうが未婚者より幸福度が高い傾向だが…
実際に、既婚者と未婚者とでそれぞれの幸福度を調査すると、男女年代別にかかわらずすべて既婚者のほうが未婚者より幸福度は高いものになります(参照:『際立つ「40~50代未婚男性」幸福度の低さの背景』)。これは、日本に限らず世界的に見てもそうで、ほぼ既婚者のほうが未婚者より幸福度が高い傾向にあります。
しかし、だからといって、短絡的に「結婚すればしあわせになる」とは言えません。少なくとも、「結婚すればしあわせになる」という因果はないからです。
実は、皮肉にもこの「結婚すればしあわせになれる」という言葉そのものが大いなる呪いの言葉になってしまう場合があります。
結婚に限らず、「いい学校に入ればしあわせになれるはず」「いい会社に就職すればしあわせになれるはず」というのも同様です。もちろん、いい学校やいい会社に所属することで幸福度が高まることはあるでしょう。しかし
、いい学校やいい会社への所属がなければしあわせになれないということではありません。
「〇〇になればしあわせになれるはず」という言葉が呪いにかわってしまうのは、本来因果のないことを因果であると勝手に誤認してしまうことで、「いい学校やいい会社に入れなければしあわせになれない」と自分自身を追い込んでしまうからです。
結婚としあわせとの関係についていえば、「結婚した人がしあわせになっている」のではありません。「もともと、しあわせな人が結婚している」のです。因果は逆なのです。
もともと幸福な未婚が結婚して既婚になっている
未婚者の年代別の幸福・不幸の割合だけを見ると、20代より40~50代の幸福率が低く、未婚のまま中年を過ぎると不幸人口が増えるかのような印象を与えてしまいますが、実数でみると違います。
男女別各年代別の幸福率と不幸率を、2020年国勢調査(不詳補完値)の未婚人口を掛け合わせることで、未婚者の幸福人口と不幸人口が推計できます。
これによれば、特に未婚男性に顕著ですが、若干のブレ幅はあるにしても、20代から50代にかけ、不幸人口にそれほど大きな変動は見られません。一方、未婚男性の幸福人口は年代があがるごとに大きく絶対数が減ります。これは、幸福な未婚者が結婚して未婚から既婚へと変わっていっているため、幸福な未婚人口が減っているわけです。
つまり、未婚が既婚より不幸なのではなく、もともと幸福な未婚が結婚して既婚となるから、結果として既婚の幸福人口が多くなっているというだけなのです。
よく考えれば当然で、結婚どころか恋愛であっても、どこから見ても不幸そうなオーラを出しまくっている相手と恋愛しようと思うでしょうか。
未婚の時点の幸福度は「結婚意欲」にも大きく影響します。
20代男女だけを抽出して、それぞれの「結婚したい」という前向き率と「結婚はまだしたくない/しないつもり」という後ろ向き率とを未婚人口に掛け合わせて割合化したものが以下になります。
未婚男性では、「結婚したい」と思うほうが「結婚したくない」という層より幸福率が16ポイントも高く、未婚女性でも同18ポイントも高くなります。まず先に本人がしあわせでなければ、そもそも「結婚したい」と思うようにもならないということです。
婚姻数が減っている要因は、そもそも結婚適齢年齢の若者の絶対人口の減少であり、年代別にみれば20代での初婚数の激減が大きな比重を占めます。男性の平均初婚年齢が31歳を超えているとはいえ、2022年の段階でも男性の初婚年齢の中央値は29歳台です。初婚する男性の半分以上は20代で結婚しています。
要するに、20代が20代のうちに結婚したいと思えないから婚姻数が減っているわけですが、それは若者の恋愛離れや価値観の変化というより、もしかしたら「20代の若者が昔よりしあわせでないから」ということなのではないでしょうか。
若者が「しあわせ」を感じられない理由
なぜ若者がしあわせを感じられないのでしょう。
その要因のひとつに、若者の経済環境の悪化という点があります。しかし、こうした「金がないから」という声を頑なに認めようとしない中高年層も存在します。
そうした中高年層はこう言うわけです。「俺たちの若い頃も給料は安かった。しかし、別にそれを不幸と感じることはなかったし、恋愛できないことや結婚できないことをお金のせいになどしなかった」と。
確かに、どの世代でも20代の給料は低いものです。しかし、中高年層が若者だった頃と大きく違う点があります。手取り額の減少です。今の若者の場合、ただでさえ少ない額面の給料があがらないうえに、社会保険料の相次ぐ負担増により、多くが「毎年給料があがっても手取りが減る」という状況に陥っています。
それでも、大都市にある大企業に勤務していれば給料の絶対額が大きいため影響はないかもしれませんが、社会保険料負担は所得が少ないほど負担率が大きくなるものです(参照:『中間層が「結婚・出産」できない日本の悲しい現実』)。
2022年の就業構造基本調査によれば、全国の20代未婚男性の年収中央値は額面で300万円にすら達していません。手取りはもっと低くなります。生活するだけで精一杯で、毎日が仕事と睡眠だけの日々であれば幸福度も何もないことでしょう。
もちろん、お金さえあれば解決するという話でもありません。しかし、カツカツのお金しかなければ、心の余裕を失い、将来に対する不安も増幅してしまうものです。
内閣府が実施している「国民生活に関する世論調査」では、長期的に男女年代別での生活の満足度などを調査しています。その中に、「日常生活での悩みや不安を抱える割合」がありますが、2022年の20代は77.8%に達します。
今の50代が20代だった頃の1996年の同割合は43.1%でした。額面給料が少ないことは同じにしても、今の若者とおじさん世代とでは手取りの額と生活の不安度がまるで違うということに留意しなければなりません。
8割近くの若者が不安を感じているその要因を紐解くと、もっとも構成比が高いのは「現在の収入や資産について」よりも「今後の収入や資産の見通しについて」のほうが高く、20代男性の68.2%、20代女性の66.2%を占めます。つまり、今の経済環境よりこれから先の経済環境に期待できないと感じていることになります。
ちなみに、1996年時点の20代と比較しても、全体的に不安感が大きく増していることがわかります。
1996年時点は、まだ給料が少なくても、「やがてはあがるはず」という期待があったのでしょう。会社の上司や先輩を見ても、「あのくらいの年齢になればこれくらいの収入になるはず」という安心材料もありました。わかりやすくいえば若者はお金の心配をそれほどしなくてもよかった時代だったのです。
結婚減や少子化を若者の価値観のせいにしていないか?
しかし、今やそんなことを許さない現実を突きつけられます。40歳になっても経済的につらいという先輩たちを見て、20代に希望を持てというのも無理な話です。
生活に困るほどの困窮ではないにせよ、何より問題なのは、若者自身が自分の未来に不安しか感じられなくなる今の空気感なのではないでしょうか? 不安は行動を委縮させます。
「何をしたってどうせ無駄なのだから、何かすることはリスクしかないのだから、だったら何もしないでおこう」という無行動に若者を向かわせている空気こそが、若者の幸福人口が増えず、結果として結婚意欲も持てず、未婚化や非婚化がさらに進行していくことにつながっているのではないでしょうか。
若者が「恋愛しない・結婚しない・子どもなんていらない」というのを若者の価値観のせいにして納得している場合ではないのです。若者からあらゆる行動を奪う環境しか用意できないほうにこそ問題があるのでしょう。若者の不安を煽る物語しか提示できないほうに問題があるのでしょう。
お金がすべてだとまでは言いませんが、行動するにもお金は必要です。
少子化、少婚化を危機というのであれば、まず若者を覆う不安を払拭し、彼らが「行動できるお膳立て」を整えることが先なのです。
<東洋経済ONLINE>
「未婚者は”幸福度が低い”」調査の裏側にある真実