お笑い芸人の枠を超え、テレビ・ラジオのMCや、ROCKETMAN名義での音楽活動、コラム・エッセイの執筆など、多方面で活躍するふかわりょうさん。誰もが素通りするような、「どうでもいいこと」を気にして深掘りしてしまう、不器用な日常をつづったエッセイ集、『ひとりで生きると決めたんだ』が2022年11月に刊行されました。
「この本に書いた内容は、もしも自分に子どもがいたら、家族がいたら、気づけない景色」だと語る、ふかわさん。2回にわたるインタビューの前編では、「ひとりで生きる」ことの真意や独自の結婚観について語ってもらいました。
結婚することが前提の社会に違和感
――新刊のタイトルである『ひとりで生きると決めたんだ』――。一見、「生涯独身を貫くことを決めた」ようにも捉えられますが、この「ひとりで生きる」という言葉には、どんな意味が込められていますか。
僕自身、今どきのソロ活やおひとりさまのように、「ひとり時間やひとりの人生を謳歌したい」わけでもなくて。かといって、世捨て人のように「俺は孤独を望んでいるから放っておいてくれ」と思っているわけでもありません。
ややもすると、「生涯独身宣言」のように受け取られるかもしれませんが、読み進めてもらえれば、「どうやらそういうことでもなさそうだ」とわかっていただけるのではないかと思います。
人は社会という群れの中で生きてはいますが、そもそも一人ひとり、別個の存在です。それぞれ自分の人生があって、その道を自分で歩いていくものだと捉えています。
ところが、今の日本では、まだまだ結婚すること、夫婦や家族になることが前提の社会になっている。そこになんとも言いがたい違和感があります。
結婚できるとか、できないとか、これからの時代は、そういう意識がどんどん薄まっていったらいいなという思いもあって。このタイトルが、“ラテアート”のように浮かび上がってきたんです。
――ふかわさんのお知り合いで、「ひとりで生きる自信が持てたから結婚した」という方がいた、と著書にありました。「『ひとり』と『結婚』は両立するのだ」とおっしゃっていて、なるほどと思いましたね。
夫婦になろうが、家族になろうが、「人は基本的にひとりなんだ」という意識で生きれば、お互い頼りすぎたり、多くを求めすぎたりして、歪みが生まれることもなくなります。
ひとりで生きる者同士が一緒になれば、お互いにとってちょうどいい支え合いができる。
僕の場合で言うと、「皆と一緒に心地よく生きていきたいから、ひとりで生きると決めたんだ」といった感じでしょうか。あくまで“ひとり”であって、独りではない生き方です。
――多くの人間関係が崩れる原因は、「自分と相手との境界線を越えてしまう」ことにあるのではないかと感じます。
そうですね。相手との亀裂や軋轢は、それぞれが互いに求めすぎることによって起きてしまうと僕も思います。
人間関係においては、「温かさを帯びたクールさ」が必要ではないでしょうか。ちょっと例えが違うかもしれませんが、「東京の人間は隣近所の人の顔もわからないし、周りに対して干渉しないから冷たい」などと言われていた時期がありましたよね。
でも、干渉されないことで助かることって、いっぱいあると思うんです。実は「過干渉」が、一番怖いんじゃないかと思うほどです。
生涯未婚率が取り上げられるうちはまだまだ
――2020年の国勢調査によると、男性の生涯未婚率(50歳時未婚率)が25.7%、女性が16.4%で過去最高を更新したとニュースで大きく取り上げられました。「男性の4人に1人が生涯独身」などと話題に出ましたが、そうした報道も余計なお世話だと捉える人も多そうですね。
国の調査として推移を見ていくのはいいと思うのですが、まるでコロナの陽性者の人数を発表するかのように、「未婚者がこんなにいます。だから減らしましょう」みたいな空気感を醸し出すのはよくないなって思います。
生物として種を残すという価値観は、ゆるぎないものとしてあると思うんですけど、だからといって、「皆結婚しましょう。子どもを産みましょう、増やしましょう」という圧は、必ずどこかに暗い影を落とします。
皆のために“よかれ”と思って言っていることって、実は誰かの心の負担になっていることもあります。生涯未婚率がニュースで大々的に取り上げられるうちは、まだまだだと思います。
――職場の人や親戚などから、「彼女(彼氏)いないの?」「結婚しないの?」と言われてしまうケースも、依然としてありそうです。
そうですね。逆に「この人は独身だから、結婚の話や家族のことを話題に出すのはやめましょう」みたいな周囲からの配慮もあって。そうした空気に敏感になったり、傷ついたりする人も中にはいるかもしれません。
ただ、僕の場合は、それはもう乗り越えるしかないと思っていて。あからさまに、話の輪から外されたら傷つきますけど、周囲からのナチュラルな配慮については、いちいち気にしている暇はないという感じです。
独身の自虐ネタが笑えない時代が来るかも
――お笑いのシーンでは、独身であることや結婚できないことをネタにするケースもたびたびあります。
お笑いで何がウケるか、何が面白いと感じるかは、その時代の空気によるものだと僕は思います。
笑いは時代と密接につながっているものだから、今まで笑いになっていたものが、これからは笑えなくなるものも当然出てくるでしょう。
特にテレビは、ある一つの価値観を印象づける「箱」だと思っているので、見ている人へのインパクトもそれだけ大きくなります。ある一つの笑いが強烈な印象を与えて、一部の人を傷つけてしまう可能性もあります。
結婚できないことや見た目の美醜を自虐ネタとしてテレビで前面に出していくのは、これからの時代、マッチしなくなるかもしれません。
――確かにテレビはわかりやすい一方、ダイレクトに伝わってしまいますからね。
テレビはテレビの良さはあって好きなんですが、僕自身が普段考えているような、人から見たらどうでもいいような、ささいな事柄ってなかなか伝わりにくいです。まず、誰も耳を傾けてくれませんから。
ラジオや書籍だからこそ、伝えられることってあるなと思います。
――表紙の一匹の羊の写真も、「なんで羊なんだろう」と考えさせられてしまいます。
これはアイスランドで出会った羊なんです。管理をするために一匹ずつ耳にタグが付けられているんですけど、人間も社会という群れで生きるという点でどこか通じるものがあるなと。人間も社会で生きる以上、完全にひとりで生きていくのは無理ですからね。
崖の上で一匹の獅子が吠えている写真じゃなくて、草原で羊がたたずんでいることの意味や背景を想像してもらえるとうれしいです。
――読み手の想像にゆだねられるのも、書籍の魅力かもしれません。
そうですね。いったい何人の人がこの羊と目が合うんだろうと考えるだけで、ロマンです。
この本に書いている内容って、僕がすでに結婚していて、子どもが2、3人いるような家庭を築いていたら、遭遇しない世界だと思うんです。今まで独身で生きたことによって遭遇した世界を失いたくないし、大事にしていたい。
でも、いつか誰かと出会って、一緒になったとしたら、その景色もちゃんと見つめていたいとは思います。
「絶対に結婚しないぞ」という気持ちではない
――この先、結婚する可能性もなくはないわけですね。
絶対に結婚しないぞという気持ちではないんです。ひとりで生きると決めて歩んでいく先に、同じ場所で足を止める人がいれば、その人と一緒に同じ景色を見ることもあるでしょう。その点はこだわっていません。
自分としては、「誰かいい人、いないかな?」って、パートナーを探す旅はしないということです。
「ひとりで生きると決めました」と、断言しているんじゃなくて、“決めたんだ”と表現している点に、「僕を見捨てないで」っていう気持ちを含んでいる気がします。
65歳になって、結婚相手がめちゃめちゃ欲しくなる可能性もあります。「誰かおかゆ作ってくれる人、いないかな」みたいな(笑)。人は変わるものですから、未来に余白を残しておきたいです。
<東洋経済ONLINE>
ふかわさん「ひとりで生きると決めたんだ」の真意