地元を出たかった、とモモエさん(仮名・40代)は言う。生まれ育った土地を、出たかった。40代で転職活動をはじめた。この年齢の転職はむずかしいと思っていたけれど、意外にもスムーズに進んだ。勤めていた会社を早々に辞め、引っ越した。
地方に生きる、独身の40代女性にお話を聞くシリーズ、1回目は新潟県出身の女性にスポットライトをあてる。
新潟にいるあいだ、モモエさんは息苦しかった。社会の動きはニュースやネットで知ることができる。でもそんなふうに話題になるのはぜんぶ都会のことで、地方にいる自分は蚊帳(かや)の外にいるとずっと感じてきた。
「老後は困る」の呪い
「実家のあたりでは、40代で独身でいると、『ひとりで好き勝手に生きている』というレッテルを貼られます。そこには、結婚もせず子どもも産まず勝手に生きていたら老後は絶対に困るぞ、っていう意味合いが込められているんですよね」
結婚して子どもさえいれば老後は安泰ってわけでもないのに……とモモエさんはつぶやく。
息苦しいなら地元を出ればいい、というのはシンプルな考えだが、そう単純にはいかない。40代独身女性は、決して身軽ではない。転職したくても一般的に企業が求める中途採用人材は30代半ばまでといわれている。実家暮らしの場合は、高齢の両親のことも考えざるをえない。
地元を出たい気持ちはあれど
重くなるフットワーク。「出たい」と「出る」のあいだには、見えないけど大きくて深い溝が開いている。越えるために背中を押してくれる決定的な出来事があれば、話は別だ。
「私の場合は、長く勤めていた会社を辞める大きなきっかけがあったんですよね」
それは、給湯室での出来事だった。その会社では、男性職員が使ったカップを女性職員が洗うという、暗黙のルールがあった。
「私、洗わなかったんですよ」とモモエさんはきっぱり言う。潔い。
「自分で使ったものを自分で洗うって、当たり前のことですよね。それを女性に押し付けておきながら、彼らの口から『お願いね』『ありがとう』って言葉が出たことは一度も聞いたことがない。女性って“ただ”で使われるんだなと思ったんですよ。
以前は私も、ついでに洗っとくかぐらいの感じだったんですけど、そのうち、なんで洗わなきゃいけないんだろう、と考えるようになりました」
カップを洗わないだけなのに
同じ職場にいながら、女性が一方的に男性をケアする役割を担わされている。きっとカップはそれを象徴する出来事のひとつで、ほかのシーンでも同じようなことが多々起きているのではないか。
「ある日の定時間際に、部長から呼び出されたんです。私は定時で帰りたくてその日の仕事を急いでまとめていたところでしたけど、仕方なく会議室へ。そしたら、『なぜ男性職員のカップを洗わないのか』と詰められたんです。どうやら私のことを、『女性職員であいつだけが洗わない』とその部長に話した男性職員がいたらしくて」
モモエさんが部長に、「逆に聞きますけど、なぜ自分で出した汚れものを自分で洗わないんですか?」と問いかけたところ、部長は目を白黒させて言葉を飲み込んだ。
女性同士のあいだにも分断が
「むしろ私は、部長が絶句したことに驚きました。男性職員は自分で自分のことしなくても咎められないのに、女性職員はなんで男性職員のために手を動かさないことを詰められなきゃいけないんだろう、って」
その後、モモエさんは同僚の女性からも「なんで洗わないの?」と尋ねられた。
「あなたは、どうして洗ってるの?」
「え……だって女性が洗うものでしょ?」
「じゃあ、あなたは洗えばいいじゃない」
モモエさんは、彼女に対して腹立たしいとか、同じく洗うのを放棄してほしいとか、そんなことは思っていなさそうだった。ただ、女性は男性のケアをするという価値観に適応する女性と、そうでない女性がいるだけなのだと承知している。
気が利く=無料ケア労働を提供
「と言いつつ、実は私、気が利く性格なんですよ。空気を読み、何ごとも先回りして動くのが好きでした。そのぶん、それができない女性のことを低く見ているところもあったかな。でも自分では人の役に立っているつもりでも、実際には人から“ただ”で使われていただけだった、と気づいたんですよ」
いったん気づいてしまうと、もう戻れない。男性職員のカップは洗わないと宣言したモモエさん、話はそれで終わりかと思っていたら後日、部の全体会議が開かれた。
「テーマは、私がカップを洗わない問題です。部署の全員が業務を止めてまでする話なんでしょうか……」
もともと女性が長く勤められない会社だと、モモエさんは感じていた。結婚後も働く女性はいるが、子どもを育てながら働いている女性はいない。妊娠したら、だいたい退職する。
会社だけの問題ではなかった
「自分たちのケアをしない女性がいる、っていうのが彼らには衝撃だったようです。ケアをしないだけでなく、モノを言う女性なんだから、想定外もいいところだったのでしょう」
部署全体会議が終わった後、モモエさんは本社のハラスメント相談窓口に電話をした。この会社には、はっきりとした男尊女卑の価値観がある。ここでいつまで働くのかな、という気持ちは、うっすらとではあるが消えたことがなかった。
そして、それは会社だけではない。そもそも地域にその価値観が根付いていて、会社はそれを反映しているだけともいえる。
地元を出たい。これもやはり消えることなく長いあいだ胸に巣食っていた願望だった。このあたりでは、女性は誰かに所属することを求められる。生家に所属するか、結婚して夫に所属するか。そうなると、自分で何かを決めることは歓迎されない。
「20代のころ、結婚を考えた男性がいたんです。彼と結婚したらどんな人生だろう、と思った瞬間、こんな情景が浮かんできました」
夫の職場と夫の実家の中間ぐらいでマンションを賃貸し、モモエさんは仕事を辞めて家庭に入る。1、2年経ったら「子どもはまだか」と周囲からせっつかれる。無事子どもができたら、次は「2人目はまだか」。2人目が生まれたら「家はどうするんだ」と言われて、夫の地元で家を建てるーー。
これまでは夢見るだけだった
同世代の友人知人の多くがそうだった。それで幸せを感じる人もいることは知っているし、その人生設計を否定したいわけでもない。ただ、自分には無理だと思った。ぞっとした。彼とは結婚しないまま、別れた。
自分のことは自分で決めたい。モモエさんは40代で、転職活動をはじめた。
「カップのことがあっても、新潟の会社を『何がなんでも辞めてやるー!』と思ったわけじゃなくて、わりと軽い気持ちで動きはじめたら、トントン拍子に決まりました。それまでは、降って湧いたようないい話が私のところにも来ないかなと思っていたんです。宝くじで1億円当たればいいな、ぐらいの感じで。でも、待っていても何も起こらないってことですよね」
モノ言う女が去っていく
金沢の企業から内定が出た。転職だけではない、地元も出られることになったモモエさん。すぐに会社に辞表を出した。「有給休暇を消化しないといけないので、来週からきません!」と宣言したという。モノ言う女の退職を、社の男性たちはどう見送ったのだろうか。
「本当に幸運なことなんですが、学生時代に就きたいと思っていた業種への転職だったんです。若いころと比べて、物覚えや体力はそりゃ衰えています。だから失敗もする……けどこの年になるといい意味での図太さがあるので、へこたれないんです」
2014年ごろから、女性が地方から都市部へ流入する現象がつづいている。男性は、地元に残る。それは地方ではジェンダーギャップがより大きく、特に女性が進路や職業選択、結婚妊娠出産など人生の大事な局面においてネガティブな影響を受けやすいからだといわれている。
都市部でも、女性職員が男性職員のケアを担わされている組織は、きっとある。ただし、そうした暗黙のルールに適応できず転職を考えたとき、地方よりも都市部のほうが選択肢は多い。
金沢も地方都市ではあるが、地元に比べると人口はずっと多く、文化的な雰囲気がある。
地方と都市部の結婚格差
モモエさんは金沢という街を気に入った。東京や大阪という大都会と比べると人と人の距離が近くあたたかさもあるが、ここでは地元のように干渉されない。独身でいるだけでレッテルを貼られない。
いまどき、生涯結婚しない人なんていくらでもいる、というのは、都市部に暮らす人の感覚だろう。40代、50代、もしくはそれ以上の独身者を多く知っているほど、そう思える。
最近の国勢調査でも、25~39歳の未婚女性は都市部で少なく、地方で多い傾向がある。新潟県では、この年代で未婚の女性は38~40%、過半数を大きく割っている。そもそも39歳までしか統計が出されていないのも引っかかるが、それ以上の年代になると未婚率はさらに下がると推測できる。地方で未婚女性は、なんだかんだいってマイノリティなのだ。
女40代はどう生きるのか
そんなモモエさんは、これから先の人生をどう考えているのだろう。
「以前は、将来こんなふうになっていたい、こんな暮らしをしていたいっていう夢や理想像があったんですけど、それが逆に自分の人生を脅(おびやか)していたところがあるなぁと気づいたんです。将来ってほんと、何があるかわからないですよね。私が金沢で暮らすなんて、半年前には想像もしていなかった。
自分のことは自分で決めたいけど、相手があることなら自分ひとりでは決められない。だからあんまり考えない、決めつけないようにしています」
<文/三浦ゆえ>