親の介護において、トラブルの元となりやすいのが兄弟(兄妹)間での負担の分担だ。
住む場所や仕事、家庭などの事情により、なかば押し付け合いのような形で「親の面倒は誰がみるのか」「介護に必要なお金は誰が出すのか」と口論に発展。結果、金銭トラブル、相続トラブルにまで発展し、家族の仲が破綻してしまう事例は山のようにある。
とはいえ親の介護を一人で抱え込んでしまうと、いずれ介護する側に身体的、精神的、経済的な限界が来てしまうことも少なくない。そうなる前に“行政や民間の介護サービス、制度の知識”や“介護資金に関する基礎的な知識”を身につけておくべきだろう。
今回は、認知症を患う高齢の母と同居し、介護離職寸前にまで追い込まれた独身男性のケースをもとに、どのように対処すればよかったのかを紹介したい。
バツイチ・独身貴族を謳歌していたが…
長年勤める企業でエンジニアをしているSEの鈴木健介さん(仮名・59歳)は、バツイチで現在は都内に一人暮らし。母・美代子さん(仮名・77歳)と同居するようになったのは、2015年、彼が51歳のときだった。
2011年に父が他界し、東京郊外のマンションで単身住まいとなった美代子さん。それでもしばらくはフラダンス教室に通うなど、元気な様子を見せていたのだが、しばらくしてから深夜に「一人暮らしがさみしいから今すぐ来てほしい」といった電話が健介さんの元にかかってくるようになる。
「やはり気丈に振る舞っていても、長年連れ添った父が亡くなったことは精神的につらかったのでしょう。一人暮らしになったばかりということもあって心配になり、地元の地域包括支援センターに相談してみたんです」(以下、「」内は健介さんによるもの)
地域包括支援センターとは、さまざまな機関と連携し、その地域に住む高齢者をサポートしている施設で、要介護認定を受けるための手続きなどの相談もできる。介護の駆け込み寺的な役割を担っているため、親の住民票がある自治体の地域包括支援センターを調べておくと、介護関連で困ったときになにかと役に立つはずである。
「地域包括支援センターで念のため要介護認定の申請をしたところ、『要支援1』の認定を受けました。そこでヘルパーさんに週2回来てもらい、母にはとりあえず一人暮らしを続けてもらうことにしたんです」
ちなみに要介護度は、要支援1・2、要介護1~5という7段階に分かれており、段階によって支給限度額が定められている。たとえば費用1割負担の人が、要支援1の場合、1カ月あたりの支給限度額は5万320円で、この枠内であれば自己負担額はわずか5032円で済む。要介護5の場合、支給限度額は36万2170円で、自己負担額は3万6217円ですむことになる。
健介さんは28歳のときに弁護士の妻と結婚して子どももいるが、35歳で離婚してからは独り身。この時点ですでに親との同居も考えたものの、一旦保留にしていたという。
「でも、2014年頃になると母からの電話の回数がかなり増えてきまして。しかも『一人で寝られない』といった寂しさを口にするだけならまだしも、『お金が盗まれた』といった本当なのか勘違いかわからないことまで訴えてくるようになったんです。
私には妹がいるのですが、結婚して家庭を持っており、子育てで忙しいということだったので、独り身の私が母を引き取ることにしました。母の住んでいたマンションはひとまずそのまま残し、自分と母が暮らすために新たにマンションを購入したんです」
美代子さんの介護をするために、二人暮らし用のマンション購入に踏み切ったという鈴木さん。長男である自分が責任を持って母親の面倒をみないといけない、という使命感のようなものがあったのかもしれない。そんな折、とある事実が発覚する。
「引っ越しのために母が住んでいたマンションを整理していたところ、母の預金通帳や日記を見つけたんですが、私の知らないところで妹の自宅購入のために1000万円も貸していたことがわかったんです。そのお金は妹から返ってきたのかと母に尋ねると、『いつか返しますと言われたから貸したけれど、いまだに返してもらってない』とのことでした」
この1000万円がきっかけとなり健介さんと妹の溝がどんどん深くなっていくことを、このときはまだ知る由もなかった。
同居後すぐに認知症が発症
同居を開始して早々、健介さんの想定外の事態が起こる。美代子さんが認知症を患っていることが判明し、判定の結果、『要介護1』と認定されたのだ。
「私が仕事に出てしまう平日の昼間は母を一人にしておいても大丈夫だろうと考えていたのですが、その想定が甘かったですね……。今思えば、突然深夜に電話がかかってきたことは、認知症の前兆や初期症状だったのかもしれませんが、いずれにしても母は到底一人で置いておける状態ではありませんでした。
だから、母には月曜日から木曜日までは老人ホームや介護施設にショートステイに行ってもらったり、ヘルパーさんや家政婦さんを雇って身の回りの世話や掃除や食事作りをやってもらったりするようにしたんです。週末も私が自宅にいないときはヘルパーさんを雇い、母の世話をしてもらっていましたね。
ただ、ここまでくるとさすがに自分一人で母の世話をする負担を背負いこむのは不公平だと感じ、妹にもたまに手伝ってほしいと頼んだんです。けれど返事は以前と同じで、『子育てとパートで忙しい』の一点張り。これには腹が立ちましたね」
そんな妹の非協力的な態度以上に健介さんを悩ませたのが、美代子さんの介護費用だった。
美代子さんの介護費用は要介護1の支給限度額である16万7650円に収まらず、月30万~40万円ほどの支出にまで膨らんでいたという。被介護者の状態にもよるが、一般的な介護費用は月7~8万円ほどと言われている。
しかし健介さんの場合、正式に老人ホームや介護施設に入れず、ベースを自宅介護にしておりヘルパーや家政婦への依存度が高かったことから、余計に費用がかさんだのだ。
収入激減で大ピンチに
一般的な額よりもかなり高い介護費用が毎月かかっていたものの、当時はまだなんとかやりくりできていた。
「その頃はまだ母の預金が1000万円近く残っていましたので、何とかなっていたんです。ただ1ヵ月あたりの出費はやはり大きく、残高が徐々に減っていって不安は増すばかり。しかも、購入したマンションのローン返済が月15万円もあるので、次第にお金のことばかりを心配するようになっていきました……」
しかも美代子さんとの同居を始めてから3年後の2018年には、健介さんの収入事情が大きく悪化してしまう。
「当時55歳だった私は役職定年を迎えて、一気に給料が3割近く減ってしまったんです。加えて会社の業績も落ちたことで、ボーナスがゼロになってしまったことも追い打ちとなり、家計は火の車。住宅ローンと母の介護費用だけで毎月50万円にもなる支出をまかなうのは非常に厳しく、泣きっ面に蜂でしたね」
このままでは近い将来、介護破産もありえる状況にまで追い込まれ、何とか介護費用を捻出できないかと考えたときに、健介さんの頭の中で思い浮かんだのが、美代子さんが妹に貸していた1000万円だった――。
支出は毎月50万円に
55歳で役職定年を迎え、会社の業績も落ちてしまい、収入が激減してしまった健介さん。美代子さんの介護費用と同居しているマンションのローンにより、月々の支出は50万円にまで膨れ上がっていた。
そこで思い出したのが、美代子さんが妹に貸していた1000万円。健介さんはさっそく妹に返済を求めたという。
「妹は『1000万円は借りたのではなく、家を買うときにもらったもの。だから返済する必要はない』と口を揃えて言うんです。そのうえ、母の介護は私に任せるのでもう連絡してこないでほしいと薄情なことまで言う始末。
でも、私も『はい、そうですか』と納得できるわけもなく、その後もたびたび妹に電話したり妹宅を訪ねたりしたのですが、取り付く島もなく話を聞いてくれません。資金繰りには本当に困り果てましたね」(以下、「」内は健介さんによるもの)
そんななか、健介さんと妹の溝をさらに深める事件が発生する。
成年後見人をめぐり大揉め…
「母の預金と私の収入だけでは、介護費用をまかなえなくなったので、もともと母が住んでいた東京郊外のマンションを売却しようと考えました。しかし、売りに出そうとした矢先、金融機関から認知症である母名義のマンションを私が売ることはできないので、売りたければ成年後見人をつけるようにと言われたんです」
成年後見制度とは、認知症や知的障害、精神障害によって判断能力が十分ではないと判定された人を法的に保護・支援する制度だ。家庭裁判所から選任された成年後見人等が本人の代わりに財産管理や身上保護を行うことができる。
対象者の判断能力の度合いによって、補助、保佐、後見と分かれるが、美代子さんは認知症を患っており、常に判断能力が欠けていると見なされたことから、金融機関は後見人が必要だと判断したのだろう。
マンションを売るためには、権利者である美代子さんの代わりに後見人が手続きを進める必要がある。親族が成年後見人になれる場合もあるが、近年では家族による不正が相次いで報告されているせいか、司法書士、弁護士などの第三者が選ばれることが多い。
そのうえ説明した通り兄妹の仲は険悪であるため、健介さんが後見人となるというのは妹が了承しないだろう。
「そこで私は、20年ぶりに弁護士の元妻に連絡して、母の後見人になってくれないか頼んだんです。弁護士であれば法的なトラブルにも対処してくれるでしょうし、何より元身内だったので信頼できたからです。元妻は今の私の状況を知って見るに見かねたのか、後見人を引き受けると言ってくれました。
ですがここでまた妹が邪魔をしてきたんです。親族の了承が必要だったので妹に連絡を取ったのですが、『弁護士と言っても兄にとっての元身内が成年後見人になるのは断固として認めない』『母のマンションは母のものだから、一人で勝手に売ることは認めない』とかたくなに拒否。けっきょく家庭裁判所にも、元妻は成年後見人として認められないと判断されてしまいました。
妹は弁護士の元妻が成年後見人になれば、うやむやになっていた1000万円のことを突かれると思って反対したのかもしれませんね……」
どんどん苦境に追い込まれていく健介さんは、とうとう介護離職や美代子さんと同居しているマンションを金策のために売り払うことまで、脳裏をよぎるほどの状況になっていた。
いったい、どこで間違えたのか?
一人で問題を抱え込みすぎてしまった健介さん。妹との仲がよくなかったこと、収入が減ってしまったこと、さまざまな要因はあるものの、美代子さんとの同居を始めた“初動”がそもそもの間違いだった。
美代子さんが認知症となり要介護1と認定された際に、まずはお世話になっている地域包括支援センターのケアマネージャーとコンタクトをとり、どんな選択肢やどんな手立てがあるか相談するべきだっただろう。
いきなり自分だけで背負いこんで解決しようとし、美代子さんを引き取って、あまつさえ同居用に新たにマンションまで購入したのは正直に言って無謀だ。事実、介護費用とマンションのローンで月50万円にまで支出が膨らんでしまっていた。
客観的に考えると、在宅介護を続けること自体が不可能に近かった。美代子さんを引き取るためのマンションなど購入せず、同居もあきらめて施設を探すのが賢明な判断だったのだろう。
健介さんの事例から学ぶ
当事者からしてみれば、過去を振り返るばかりでは前に進めない。では現在の状況に追い込まれた健介さんはどうすべきなのか?
まず介護のために会社を辞めるのは最大の悪手。目先のことだけを考えて介護離職してしまうと、安定した収入源がなくなり、より一層状況が逼迫するリスクが高いからだ。
そして優先すべきなのは、やはり美代子さんに成年後見人を付けること。元妻とは別の弁護士や行政書士、社会福祉士に依頼し、家族裁判所より選定を受け、美代子さんの身辺整理を行う必要があるだろう。
成年後見人に当てがなくとも、市区町村役場に相談すれば成年後見人の手続きをサポートしてくれる。元身内ではない第三者であれば妹も文句は言えないはずだ。美代子さんに関するお金の管理を他人に任せることになるものの、それで家族間のトラブルを避けられるのであればメリットは大きい。
また高額すぎる介護費用は、当然ながら美代子さんの年金の範囲内に支出がおさまるようになるのが望ましい。頻繁にショートステイを利用し、さらにヘルパー、家政婦を雇って月に30万~40万円もかかっていては、健介さんの収入がいくらあってもいつかは破綻してしまう。
施設に入れれば、介護費用をより安く抑えられるので、地域包括支援センターに相談し、入居できる施設を紹介してもらうといいだろう。
そのため、後見人を選定した後にもともと美代子さんが住んでいたマンションを売却し、そのうえで施設に入れるというのが、現状でベストな選択肢ではないだろうか。
「同居家族」という落とし穴
なお収入のある子どもと年金収入のみの親が同居する際知っておくといいのが、「世帯分離」を選択することだ。
特に年金収入で暮らしている親が、配偶者に先立たれて遺族年金を受給している場合、遺族年金自体は非課税なので、住民税非課税世帯に該当する可能性が高い。健介さんと美代子さんが同じ世帯のままでいると、健介さんが住民税の課税対象なので、美代子さんも住民税課税世帯の一員とみなされ、介護保険料などの負担額が大きくなってしまう。
反面、世帯分離すれば、美代子さんは住民税非課税世帯となり、介護保険料が割安になったり、別の給付金を受け取れるなど、メリットがある。仮に同じ家に暮らしていても、世帯分離をするだけで健介さんの実質的な負担は減ったはずなのだ。
――親への愛情や責任感が強い人ほど、介護が必要となった親を自分で引き取ってきちんと世話をするべき、という思い込みが強くなってしまうのかもしれない。実際、親の介護は自分でなんでもやらなくてはと気を張ってしまう人は、一定数存在するだろう。
介護は一人で背負いこみすぎず、行政の制度や専門家の知識に頼ることが大切になってくる。だが介護に関する基礎的な知識が不足しており、“相談できる施設や利用できる制度があること”さえ知らない人も少なくない。
誰にも頼らず独断で行動するのではなく、地域包括支援センターに相談したり、そこで担当してくれるケアマネージャーにどういった方法があるか尋ねたりしながら、最善の道を模索するのがいいだろう。
<現代ビジネス>
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